北の国から 〜第3章〜
 
 
 
 
 
 
 
第3章  1555年6月〜1559年4月

 
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 1555年9月、ようやく討伐令が解除。翌月、織田家と武田家との小競り合いのどさくさに紛れて美濃・稲葉山城を奪取。総大将は稲葉一鉄で、彼に率いられた旧斎藤家家臣団は旧領へ復帰することが出来た。そしてそのまま中部方面の抑えに就いた。織田軍からの援軍要請があれば、ここから出撃することになるだろう。

 1556年1月。安東軍は軍団を再編成して進撃を開始した。残り12カ国を占領するためである。山陰方面は明智光秀を総大将に、細川藤孝、足利義輝、荒木村重、本願寺光佐、明智秀満、斎藤利三、井戸良弘らが参陣。これを第1軍とした。

 山陽方面軍は安東愛季を総大将として、安東茂季、浅利則頼、朝倉景隆、朝倉景鏡、朝倉景隆、波多野宗高、氏家定直・守棟、戸沢道盛、金上盛備らが参陣(何気に一番弱い)。これを第2軍とした。

 また長尾政景を総大将として、斎藤朝信、柿崎景家、北条高広、本庄繁長、小島貞興、宇佐美定満らと、播磨・三木城の別所一族らで構成される別働隊(安東軍最強!)も中国地方の内陸部へ侵攻した。これを第3軍とした。

 また四国方面では軍を2手にわけ、第1陣の総大将は朝倉宗滴、以下、赤井直正、籾井業教、三好長慶、滝川一益ら。第2陣は荒木氏綱を総大将に、高坂昌信、松永久通、下間頼廉といった若手の武将達によって構成されていた。この2つをまとめて第4軍とした。

 5月には浦上家を滅ぼし、山名、赤松らの領土を侵略していった。その途中、独立勢力となっていた宇喜多直家の取り込みに成功。やっぱり征夷大将軍の威信は凄い。

 各方面軍が順調に勝ち進む中、稲葉山城の斎藤義龍軍団が飛騨・桜洞城を落し、三木家を滅ぼした。しかしこの侵攻は、意外な局面を作ってしまうことになった。
 

  安東愛季「美濃に駐留する軍団が、飛騨を占領したというのは本当か?」
  氏家守棟「間違いありません。斎藤義龍殿の軍団が占領したようです。」
     愛季「これは父上の指示か?」
  金上盛備「どうやら殿は、『あの越中と美濃の間にある領土は邪魔臭いなぁ』ということで占領を
         命じたようですが…。」
     愛季「しかしこれでは、武田領の南信濃と隣接してしまうではないか。攻め込まれたらどうす
         る?」
     盛備「あ…。これでは越中も危険ですね。」
    愛季「ああ。しかも武田家と戦っている織田家からは、ひっきりなしに援軍要請が来ている。全
         軍の大部分を西国に振り向けている今、外交関係上断れない。」
    守棟「面倒ですねぇ。まして他国の勢力伸張に将軍家が力を貸すなどとは、威信に関わりま
         す。いっそ南信濃を占領してまったほうがいいのではないですか?」
    愛季「そうだな。大体稲葉山城だってドサクサ紛れに奪ったんだから、またやってくれないか
         な。」
     盛備「…若、お話はそれぐらいで。我々は第2軍として山陽方面を担当しております。こちらの
         攻略に集中しましょう。」
     愛季「そうだった。でも余りにも簡単すぎるだろ?俺達一番弱い軍団だったはずなのに…。」
     守棟「そうですね。」
     盛備「…。」

 こうして美濃の旧斎藤家家臣団は、ほぼ毎月のように織田家と武田家との戦いに引き摺り込まれることになった。またこの戦いは同盟関係履行上発生した戦いであるため、敗北するとこちらの威信まで下がってしまう。このため戦力を稲葉山城へ集中する必要がでてきたので、せっかく占領した飛騨・桜洞城をがら空きにせざるを得なかった。

 え?旧三木家家臣は何をしているのか?全員に登用を断られました…。そして逃がしてあげたら武田家家臣になっていました…。

 1556年11月までに、第1、第2、第3のそれぞれの軍団は山名家、赤松家、三村家をそれぞれ滅ぼし、因幡・美作・備後まで進出した。ここまでで落した国の数は29となり、のこり3つを占領すれば同盟統一が可能になるところまで辿り着いた。丁度四国にあと3つの敵性国が残っていた。そしてこれらすべてを占領すれば、この西国における軍事活動は終了するはずだった。
 
 

* * * * * *








 讃岐・十河城荒木氏綱軍団。
 
 

 荒木氏綱「あと3カ国、讃岐・伊予・土佐を落せば四国が統一できる。…しかしいくら丁度いいからとい
        って何で中国地方の進行を止めてしまったんだろう。あの調子ならこちらが四国統一を果
        たすより早く、残り3国ぐらい落せてしまいそうなのに。」
 高坂昌信「氏綱殿、本当におわかりにならないので?」
    氏綱「ええ。」
    昌信「では拙者がご説明申し上げましょう。因幡、備後の先はそれぞれ出雲、安芸になります。」
    氏綱「ああ、なるほど。そこを支配している尼子、毛利の両家はかなり手強い。そこであえて無理
        をする必要はないので、我々が働くハメになったというわけですね。」
    昌信「ご明察です。」
 下間頼廉「…だだいま宇喜多直家殿から手紙がまいりまして、第2、第3軍は侵攻を止めたばかりでな
        く、軍団そのものが解体されているようです。最前線にあるのは因幡・鳥取城の第1軍と、
        備後支城・神辺城で急遽編成された宇喜多殿の軍のみ、とのことです。」
    氏綱「…もうやる気がないな、上様は。」
    昌信「それでは、我等もさっさと伊予に侵攻いたしましょう。四国を平定し32ヶ国をおさえれば、後
        は外交の仕事になります。もう流血は最後ということになるでしょう。」
    頼廉「…もうひとつ知らせがございます。土佐・岡豊城へ侵攻中の朝倉宗滴殿の軍団が、九州
        から侵攻して来た大友軍と交戦した模様。そしてその大友軍が、こちらにも向かっており
        ます。」
    氏綱「そうか。今回のシリーズは、一旦敵対すると関係改善を図るのは難しいから、このまま行く
        と九州へも進むことになるかもしれない…。」
    昌信「それはそうですが、今は四国統一を急ぎましょう。そこから先は上様のお心ひとつです。」
    氏綱「ええ、そうですね。そうしましょう。」
 

 年が明けた1557年の5月。安東軍第4軍は四国内の独立勢力をすべて掃討し、四国を平定した。そしてついに支配領国数は32になり、同盟統一への条件は整った。あとは、散在する敵性諸勢力を各個撃破していけば、残る仕事は諸国との同盟締結だけとなる。

 ここに至って、将軍・安藤舜季は遠征していた軍団を解体し、それぞれの出身地へ返し始めた。無論最前線にはそれなりの軍団が残されるのではあるが、大方の武将達は帰国の途についた。
 
 

* * * * * *








 山城・室町御所。
 

 安藤舜季「もう終りだな。ここまでで13年か。まず武将達を出身地に帰還させて、それから外交を始
        めて、とやっているうちに2〜3年は経つだろうな。ま、のんびりやろう。」
 安藤愛季「父上、なぜそのような無駄なことを?さっさと他国との同盟締結を急げば、1年もかからず
        に同盟統一できるでしょうに。」
    舜季「愛季、お前はまだ若いな。俺が武将達をそれぞれの出身地に戻している理由がわからな
        いか?」
    愛季まったくわかりません。
    舜季「そ、そうか。その理由というのはだな、こうやって武将達を史実に近い位置に戻したりして
        いるとだな、本物の将軍になった気がするじゃないか。」
    愛季「あ?」
    舜季「い、いや、だからさ、こう自由に武将達の配置換えをしていると、徳川幕府がやったみたい
        な改易やら国替えやらを俺がやっているような気分になれるじゃないか。それに別に史実
        通りにやらなくても、何か『俺の歴史』みたいなものを作っているようで面白いじゃない
        か。」
    愛季「お、俺の歴史!?」
    舜季「そうなんだよ。例えば別所就治いるだろ?あいつらって播磨の三木城が本拠地なんだ。
        でも三木城って支城だから狭っ苦しいんだよ。で、その武勲に報いようとすると、播磨の
        本城・姫路城は降伏してきた赤松家にあげてるわけだから、国ごとってのは無理なんだ。」
    愛季「そうですな。」
    舜季「でも情に厚い俺は何とかして報いてあげたい。すると、じゃどうするって話になるだろ?そこ
        で俺は、旧赤松家の所領だった美作・津山城を国ごと与えたわけなんだ。そうやって色々
        と一族ごと配置していくと、本当に『俺幕府』って感じがしてくるだろう?ん?」
    愛季『俺幕府』!?
    舜季「そう。こうなって初めて、俺が支配しているっていう意識が出てくるんだよ。俺が将軍として
        支配しているからこそ、諸大名は所領を落ち着いて治められるというわけなんだな。」
    愛季「はあ(ん〜、大丈夫かいな?)。わかりました。将軍である父上のお考えに、拙者ごときが
        差し挟める意見があろうはずがございません。どうぞお好きなようになさって下さい。」
    舜季「そうか。じゃあ軍団の解体と将兵の帰還は続行しよう。」
    愛季「つきましては父上、どうやら武田家が北上の意図を見せております。既に下野に迫ってい
        るようですので、岩代・黒川城にて迎撃の準備をとりたいと思いますが。」
    舜季「わかった。お前に万事任せる。よきに計らえ。」
    愛季「ありがとうございます(『よきに計らえ』?皇帝きどりかよ。はあ、さらば父上)。」
 

 こうして将軍・安東舜季の手によって、安東軍の将兵は故郷に帰っていった。旧最上家家臣は山形、旧長尾家家臣は越後、旧波多野家家臣は丹波、というようにそれぞれの出身地へ、帰還していった。ただ、明らかに敵対している武田家や尼子家、毛利家や大友家といった大名家と隣接する位置には、強力な軍団が配置されていた。

 安東愛季が黒川城に移ったのもその一環で、この国の南部に位置する須賀川城二本松城には、斎藤朝信、真田幸隆、森可成らによる軍団が駐屯していた。

 岩代・黒川城。
 

 安東愛季「皆の者、ちょっといいか?武田軍の件で話がある。」
 真田幸隆「ははっ。恐らく武田軍が侵攻してくるとすれば、この須賀川城が最前線となるはず。その
        ための防備は怠りなく整っております。」
    愛季「ああ、それはよかった。ま、宇都宮の連中が同盟を蹴ってきたから、こんな心配をしなけれ
        ばならなくなってしまったわけだが…。」
 斎藤朝信「もう滅亡寸前ですからな、彼らは。」
    幸隆「ですがよほどの大軍で来ない限り、武田軍の侵攻はこの城で止められるはずです。」
    愛季「いや、俺が話があるっていうのは、これから武田軍に攻撃をかける場合の話だ。はっきり
        言ってしまうが、いまさら奴等と同盟は組めない。これから友好度を上げていこうとする
        と、こちらから家宝を差し出さなければならなくなる。しかしそんなことはできない、という
        わけさ。」
    幸隆「しかし上様は可能な限り戦闘は避けよ、とお話でしたが?」
    愛季「悪いが、もう父上のことは忘れてくれ。あの年でボケが入ってきたんだ。
    朝信「何と!…それでわざわざこちらまでお出向きになって、迎撃の指揮を取ろうとされているわ
        けですか。」
    愛季「ま、そういうわけだ。よろしく頼む。」
    朝信幸隆「ははっ。」
 

 この他、主家である山内上杉家が武田軍に滅ぼされた後、独立勢力として燻っていた長野業正・上泉信綱主従が、安東家の取込に応じてそのまま上野・沼田城に駐屯した。また、これまで織田家に引きずり回されてきた岐阜・稲葉山城の旧斎藤家家臣達は、旧浅井・六角家家臣も加えて強力な軍団を編成した。今のところこれら2つと、前述の岩代・須賀川城が、武田軍に対する軍事拠点となっていた。

 中国地方の山陰側では、因幡・鳥取城に駐屯していた明智光秀率いる第1軍がそのまま防御にあたる。そして山陽側は、備後で編成された宇喜多直家軍団が毛利軍に対する供えとなっていた。また美作を治める別所就治は、両軍の補佐に付くことになった。しかしこの方面は、尼子・毛利という手強い大名家に侵攻するには弱い軍団が配置されているため、防戦が主な仕事になりそうだった。

 そして四国方面では、大友家の敵対姿勢が明らかになってきたため、四国で防ぐのではなく積極的に打って出る方針をとった。この軍団は第4軍をベースとして、荒木氏綱、高坂昌信、滝川一益、十河一存、村上吉充、下間頼廉らが参加していた。この軍団の使命は防戦ではなく、大友家の殲滅だった。そのためこの軍団は、安東軍の最精鋭軍団となっていた。見ていろ大友め(おいおい前回あんたリプレイやってるだろうがよ、大友家で)。

 1557年6月にはこの九州方面軍が豊後・栂牟礼城を占領し、安東軍は九州へ進出した。そして年が明けるまでに本城・府内城を落とし、豊後を平定した。またこの戦いで、吉弘鑑理、臼杵鑑速、吉岡長増の豊後三老や、一万田鑑実、大友義鎮らが家臣となった。

 明けて1558年正月。将軍・安東舜季の長女・深景姫が、髪結いの儀を終えた。強い本人の希望と長兄の厚い支持により、彼女は武将として戦闘に参加することになった。能力は父親が父親だけに、あまり大したものではなかった。しかし長兄・愛季は、当然のように深景姫を黒川城へ呼び、領内の内政を担当させた。

 この年、極めて珍しいことに、安東軍はまったく動かなかった(と言うより、チンタラ武将を移動させてたら年が明けてしまっただけ)。それは、これまで先端を開いていなかった尼子・毛利・北条といった大名との、同盟を成立させようとしていたからだった。今回の烈風伝では、他国との友好度を上げるためには、家宝を持参しなくてはならなかった。しかしながら、高級な家宝を惜しげもなく与えるわけはないのであり、等級の低い家宝を数多く持参するという数の力で勝負してみた。

 しかし北条氏康、毛利元就の2人はあっさりそれを撥ね付け、あろうことか尼子晴久にまで断られた。朝廷コマンドの「推挙」まで使ってみたが、何の効果もなかった。安東家は(というか私は)ただこれだけのために、1558年という年を使った。

 尚、武田家は順調に北上を続け、宇都宮・佐竹・相馬といった北関東の大名家を滅ぼし、とうとう安東家、伊達家の領土と隣接した。しかし一方で、武田家は南信濃を失っており、東海道でも苦境に立たされていた。だから逆に言えば、武田家の北上は織田家によって追いたてられた結果に過ぎないのかもしれない。織田信秀め、同盟国だと思っていればいい気になりやがって…。

 そうこうしている内に年も明け、1559年となった。そして4月までは何もなかった。あったとすれば、竹中半兵衛を登用できて嬉しかった、というぐらいだった。そのくらい、暇だった。他には、そろそろ大友軍と武田軍を本気で叩き潰してやろうかな、と考えているぐらいだった。

 そう、4月までは…。
 



 
 
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