北の国から 〜第1章〜
 
 
 
 
 
 
第1章  1546年3月〜1550年12月

 
 
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   安東舜季「…なあ親父、本当に天下統一なんて目指すのか?」
  安東尭季「何を言っている。安東家当主はお前だろう。そのお前が天下統一をすると決めたから、          今回のリプレイは始まっているんだろ?」
     舜季「つっても、家臣が親父ひとりしかいないぜ。」
     尭季「アホ。蝦夷地に蛎崎季広がいるだろう。」
     舜季「それでも3人しかいねーじゃねーか。こりゃ無理だよ。」
     尭季「愚か者。もう始まってしまったんだから、仕方がないのだ。とにかくやるしかない。手始め
         は、領内統一と家臣集めだ。この羽後には横手城と大館城という2つの支城がある。横手
         城は戸沢道盛が、大館城は浅利則頼・則祐が、それぞれ支配している。この3人をなん
         とかして配下にしなければならん。」
     舜季「でもさぁ、たとえ勝てたとしても威信81の俺達に仕えてくれるとは限らないぜ。」
     尭季「馬鹿野郎。我々にはそれ以外の選択肢はないのだ。何としてもゲットせねばならん。」
     舜季「だけどさぁ…。大体俺達っていう存在自体は、戦国大名として認識されているのかなぁ?
         こうして話してても、『誰だこいつらは?』なんて思われちゃってるんじゃないの、実際?」
     尭季「…それに関してはその通りかもしれん。」
 

 こうして始まったリプレイだが、今回は弱小大名でやってみることにした。そこでこの安東家を選んだわけが、私はこの安東家を、これまでのシリーズでプレイしたこともなければ、その史実についてもさっぱり知識がないので、かなり乱れた展開になりそうで楽しみだ。

 また開始シナリオは、シナリオ0の『信長元服』だ。前回は戦国末期の武将達ばかりが活躍していたが、今回も戦国時代の真っ只中より少し前の時代ということで、これまでとは違った武将が登場しそうだ。
 
 

 そして安東舜季父・安東尭季蛎崎季広を引き連れ、羽後の本城・土崎湊城を出発した。3人のうち最も高い戦闘の数値をもっているのが安東尭季の43(足軽適正C)という、かなり情けない戦力だが、これに関してはあきらめるしかないだろう。そしてまず、横手城を落し戸沢道盛を登用することに成功した。しかし戸沢道盛の忠誠度は20だった。正直言って、これはかなり怖い。

 次に大館城を攻略し、浅利則頼・則祐を登用することができた。こちらは忠誠度が60と、やや安心できる数値だったので助かった。そしてこれで、羽後国内の2つの支城を制圧したことになり、羽後国内は平定された。だがここで、今後の戦略上極めて重要な問題が浮上してきた。
 

  蛎崎季広「さて今後我らはいかなる進路をとるのでございますか?」
  安東尭季「当然奥州制覇よ。来月にはこの大館城を進発して陸奥津軽の本城・石川城を落し、
       部晴政に宣戦布告してくれる。」
  浅利則頼「拙者も同心いたしまする。石川城には石川高信一人しかおりませんし、絶好の好機か
        と。」
     季広「殿はどのようにお考えでございますか?」
  安東舜季「その案も一理あるとは思うんだよ。でもさ、これから南部を相手にすると結構時間かかり
        そうじゃん。で、俺としては、最優先するべきは上洛っていう気がするんだよ。それで征夷
        大将軍を任官して同盟統一っていうほうが、絶対楽だって。」
     尭季「何という怠慢!天下統一のために、ただ楽なだけ道を歩もうとは、まったく見下げ果てた
        奴よ!」
     舜季「…親父、俺は天下万民のために言っているんだぜ。とにかく無用な戦いは避けるべき
        だ。そもそも、南部家って俺達より確実に強いぜ。南部晴政の戦闘が、87っていうのを知
        ってるのか?」
     尭季「何という弱気!戦ってもいないうちからそんなに消極的でどうする!それこそ天下統一な
        ど夢のまた夢よ!」
  戸沢道盛「…しかし、現在の我らに複数の敵を相手にする戦力がないのも事実。越後の長尾家、岩
        代の蘆名家など、南に敵は多うございます。ここで北に南部という敵を抱え込むのは危険
        だと考えます。」
     則頼「…むう。確かに。」
     尭季「そんなことはない!我が軍に不可能なことなどない。例え四面楚歌に憂き目に遭おうと
        も、我が軍は右に戦い左に守り、わずか千人の兵でも一万人の働きをするであろうことは
        絶対に間違いないのだ!」
     舜季「わかったわかった。ここは南部家とは同盟を結ぼう。長尾家の当主交代イベントが起
        きる前に何としても越後までは進出したいし、最上も弱いうちに滅ぼしておきたい。そのた
        めには、絶対に後背を突かれることだけは避けたい。では、外交の能力はないにせよ、政
        治が一番高い(それでも72)季広、南部家へ使者として赴き、同盟を成功させてきてくれ。」
     季広「かしこまりました。」
     尭季「許さん!断じて許さんぞ、南部と同盟などとは!おい、舜季、皆の者、聞いておる
         のか!わしは絶対に許さん!」
 

 こうして南部家との同盟を成立させた安東軍は、南下を開始することになった。南下を開始した安東軍は独立勢力を配下におさめながら、一気に北越後の本城・新発田城まで侵攻した。ここまでで、色部勝長、大宝寺義増、長尾景信、本庄繁長が家臣となり、戦闘に関してはやや楽になった。

 また長尾領に侵入したことで、本格的に長尾軍と対決することになった。しかしその前に、南から蘆名に攻められては堪らないので、先に蘆名を滅ぼした。武将が2人しかいなかったため、あっさり勝つことができた。残念ながら誰も登用はできなかったが、本城である黒川城の南側には独立勢力が4つほど乱立していたので、仮にどこかの大名が攻めてきても、ここで速度が鈍ることは間違いないので、南側に関しては安心することができた。

 ここで、羽後から北越後に至る地域の安全圏を確保のため、また羽州を制覇して羽州探題となるため、出羽の最上家を攻めた。だが最上家にも武将が2人しかおらず、あっさりと最上家は滅んだ。また翌々月には出羽国内を統一し、最上義守と氏家定直を家臣にした。

 そして安東舜季は、羽州探題となるべく一旦土崎湊城へ引き返した。探題就任イベント発生のため、その地域の本城にいなければならないという条件を満たすためだった。しかしここで恐れていた事態が発生してしまった。1548年12月だった。
 

  長尾景信「何ということだ!長尾家の当主が交代、あの景虎が当主になってしまった。これは一大
         事ですぞ、尭季様!」
  安東尭季「…何ほどのことやあらん。小童ごとき蹴散らしてくれる。」
     景信「恐れながら尭季様、我が親族ながらあの景虎は、戦闘100で騎馬がSという怪物ですぞ
        (上杉謙信を知らねーのかよ、この親父)。しかも騎馬隊で出陣しているときは、戦闘が
        200で計算されるのです。さらに今、この新発田城に長尾軍が迫っており、その総大将が
        景虎なのです。」
     尭季「ふん。敵が来れば退けるだけのことよ。何を慌てふためくのだ?」
     景信「敵の軍団編成を申し上げます。武将数は6名、兵員は4500。…とここまでは大したことは
         こざいません。しかし率いる武将達が問題です。斎藤朝信、柿崎景家、北条高広、長
       尾政景といった長尾軍の主力武将が参陣しているのですぞ!」
     尭季「それがどうした?戦とは、数でするものでもないし質でするものでもない。精神でするも
        のだ。史実での評価なぞ知らん。わしがじきじきに叩き潰してくれる。」
     景信「…じきじきも何も、この新発田城には拙者と尭季様しか待機しておりませんが。」
     尭季「…い、戦は数でするものではないと言っているだろう!」
     景信「失礼ながら、それは数を揃えられなかった者の自己正当化に過ぎません。正直に申し上
         げれば、もはや撤退しか道はございません。」
     尭季「き、貴様、ヤン・ウェンリーみたいなことを言いおって、何様のつもりか!」
     景信「(ヤン・ウェンリー?誰だ?)ただ、そのまま撤退したのでは面白くありません。すべて
        の物資・兵員も一緒に引き上げ、いわゆる焦土戦術を取りましょう。手前の村上城で舜季
        様 と合流しましょう。」
     尭季「ゆ、許さん!撤退なぞ断じて許さん!何としてもこの新発田城を守り抜くのだ!」
     景信「…(ったくこのオヤヂ、一門衆じゃなきゃ置き去りにしてるよ…)。皆の者、撤退だ。村上
        城へ撤退するぞ!」

 こうして安東軍は戦略的後退を行い、今回のリプレイで初めて敗戦を記録した。しかし、焦土戦術は見事に成功していた。何故かと言えば、どういうわけか長尾軍は持参した兵糧が3ヶ月ももたないぐらいに少なく、これは攻城戦で持久戦が行えることを意味していたからである。武将の能力で大幅に劣る安東軍にとって、直接衝突せずに勝利を得られることは大きな意味があった。

 そして年の明けた1549年4月には、一兵も失うことなく新発田城を奪い返した。そしてそのまま支城を突破しつつ南越後に侵攻し、本城・春日山城に迫った。しかし騎馬Sで本丸に立て篭もる長尾景虎ひとりのために、本当にただひとりのために、落すことができなかった。しかし実際のところ、仮に時間があったとしても、長尾景虎の騎馬隊への有効な対策は立てられなかったというのが本当のところなのであった。
 

  蛎崎季広「長尾景虎、どうしますか?」
  色部勝長「大体、あの春日山城は本丸が一斉攻撃できないようになっているのが汚い。あんな本
        丸に立て篭もるなど、武人の風上にも置けぬわ。」
  浅利則頼「しかし城の形を変えるわけにも参りませんぞ。何とかして現状の力で、あの本丸を破ら
        ねばならん。」
     季広「景信殿、景虎は貴殿の御一門と聞いています。説得などはできませんか?」
  長尾景信「…それは難しゅうございます。それに史実では、拙者は結果的に景虎に反逆しているの
         ですから、説得などできようはずもございません。」
  氏家定直「…拙者に一案がございます。」
     季広「おお定直殿、ぜひお聞かせ下さい。」
     定直「あの長尾景虎、確かに強うございますが、智謀はそれほど高くないようです。そこで、我
        ら全員で景虎を囲い込み、かつ全員で計略の混乱をしかけ、混乱したところを色部殿や浅
        利殿、本庄殿達に突撃していただくという案はいかがでしょうか?」
     勝長「う〜む、卑怯という気もするが…。」
     則頼「しかし、力だけでは勝てないのも事実。…いたしかたありますまい。拙者は賛成いたしま
         すぞ。」
     景信「拙者も賛成です。」
     季広「…多分、他には手がないでしょう。勝長殿、ここは…。」
     勝長「…承知仕った。そうと決まったからには、拙者が先鋒を務めましょうぞ。」
 

 2度目の春日山城攻撃は、まず長尾景虎は遠巻きにすることから開始された。次に武将全員で混乱をしかけた。そこで混乱したところに、色部勝長、本庄繁長らによる騎馬隊の突撃を加えた。これにはさすがの長尾景虎も耐え切れず、何度目かの突撃の後、旧臣・色部勝長の突撃によって戦場の露と消えた。1550年5月のことだった。

 この後、南・北越後それぞれの支城を制圧し、斎藤朝信、北条高広、長尾政景、直江景綱、本庄慶秀、小島貞興、宇佐美定満といった旧長尾家家臣の登用に成功した。これで、戦力はかなり上がったと思う。
 



 
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