・武田惣角と久琢磨


昭和初期、大阪朝日新聞社の業務局長、石井光次郎氏(後の衆議院議長、体育協会会長)は警備員育成のため、のちに合気道を世に広めた植芝盛平を招いて、同社道場で大東流の稽古が行われていました。植芝師は武田惣角の高弟の一人。当時、同社の庶務部長だった久琢磨はここで大東流に出会い、技の習得に努めました。そこへ昭和10年、師の惣角が突然現れ、代わって指導をとることになります。久師は以前にも増して厳しい稽古に明け暮れ、昭和14年3月、ついに大東流門下中で唯一人「免許皆伝」を允可。以降、両師から学んだ技を「総伝」全11巻にまとめ上げ、大東流を後世に継承する業績を残しました。


惣角翁(左)と久琢磨

・久琢磨と大神謙吉


大東流合気柔術免許皆伝者、久琢磨は晩年、関西財界の支援もあって大阪市東区淡路町(現・中央区淡路町)に関西合気道倶楽部を設立しました。その後、久師は関西を中心に弟子を育成し、大東流の指導・普及に努めました。その弟子たちはその後「琢磨会」を設立し、現在までその技を伝承しています。当時、大阪市内の商社に勤めていた大神師範が同倶楽部に入門したのは昭和36年。以来、久師に直接師事して、他界する同55年までの19年間修業を続け、同43年、兵庫県西宮市に「大武館道場」を創設しました。46年には教授代理を拝命。51年には最高段位 8段を允可されました。久師の高弟の一人として、外国人を含む多くの門弟の指導に当たっています。久師は昭和45年以降毎月「大武館」を訪れ、大神宅に宿泊。練習後は常時、大東流の個人指導にあたるなど、他の高弟以上に大神師範との親交を温めました。 「琢磨会」の創設メンバーでもある大神師範は、久師の没後、同会を脱会し、「大武館」の主宰に専念し現在に至っています。

久琢磨(右)と大神謙吉
 

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