川端康成ゆかりの伊豆半島の旅館に泊まる莫言さん
莫言・原作 『中国と日本、そして私』
毛丹青・訳
岩波書店『図書』 2000年3月号に全文掲載


  二十一世紀の中日関係の展望というようなことは、本来、江沢民氏か小渕恵三氏か誰かにお話をしていただくべきことで、わたしのようなもの書きは、こういった事に気をつかう必要がありません。ところが、中国の昔の対句に、「風の音、雨の音、読書の声、耳に入るはこれらの響き。家の事、国の事、天下の事、心を寄するはこれらのすべて」とありますから、諺に従わなければなりますまい。とりとめもありませんが、お話をしてみることにします。

   未来を展望する前に、まず過去を振返る必要があります。二十一世紀の中日関係は、二十世紀、更にはその前の二千年以上もの中日関係に基づいて、築き上げられてきたものです。この関係は、複雑でもあり、簡単でもあります。恨みもあれば、愛もあります。感情的には疎遠であるとも、親近感があるとも言えると思います。ちょうど中国の有名な古典小説「紅楼夢」の、「かたきとならないと仲直りもできない」というところでしょうか。 わたしは、まだ幼かった頃から、中国の東に海を隔てて、日本と呼ばれる一つの国があるのを知っていました。祖母によれば、お日さまはそちらから昇ってくるというのです。日本はひとつの巨大の池で、お日さまは、昇ってくるまではその池でずっと寝っていたのだよ、と祖母はわたしに教えてくれたものです。その巨大な池の周りには大きな桑の木がいっぱい植えてあり、成長すると桑の実をいっぱいつけ、背の低い人たちは、毎日のように桑の木の上に登り、歌をうたいながら桑の実を食べている。それがほかでもなく日本人なんだそうです。

   のちにわたしは、祖父の口からある物語を聞きました。徐福という人物が、三千人もの幼い子どもたちを連れて大きな舟に乗り、海の奥にある仙山まで行き、秦の始皇帝のために不老不死の薬を探しに行った、というのです。これは、実に美しい伝説ですが、中国の普通の家庭でもよく知られています。日本の著名な民俗学者の柳田国男先生は、かつて大作「伝説論」のなかで、「伝説の一端は時に歴史そのものに非常に近い」という意味のことを書いたことがあります。伝説は神話とはちがいます。神話は完全な虚構ですが、伝説は歴史上で実際に起きた事件を核心とすることが多いのです。この<徐福東渡>という物語は、神話ではなく伝説であることを私は信じています。

   それにもまして、日本民族と中華民族は特別に親密な関係を持つのだと、わたしは信じています。のちにわたしは書物を通して知ったのですが、鑑真和尚はありとあらゆる苦難を乗り越えて、仏教を伝え広めるために、日本に渡ったといいます。かりに<徐福東渡>に多少の神話的ニュアンスがあったとしても、<鑑真東渡>は、歴史の真実にほかなりません。同じ母親から生まれた実の兄弟であっても、財産を奪い合うために、時には刃を交えることもありますが、それは、神様が人間を作る時に残された欠陥のせいでありましょう。わたしは、この角度から、二十世紀前半に起きた日中戦争を理解したいのです。なぜなら、戦争が起これば、真っ先にひどい目にあうのは、一般の民衆だからです。中国の民衆だけではなく、日本の民衆も含まれています。

   わたしは1955年の生まれで、実際に日本人を見たことはありませんでした。中国の映画やマンガに登場する日本人は、どれもこれも顔つきが凶悪で、非常に恐ろしい姿をしていました。1980年代になって、わたしは小説の創作を始めたのですが、それがきっかけとなり、多くの日本人と接することができました。そうした日本の人たちは、礼儀正しくて、誠実で、かつてみた中国映画の中の日本人とはずいぶん違うなあと思いました。その時はじめて、日本人は中国人と同じ人間であり、鬼ではないことがわかるようになったのです。

   1980年代の初め、日本の映画は中国でも流行しました。「君よ憤怒の河を渡れ」「生と死」「望郷」「遥かな山の呼び声」……渋い高倉健は無数の中国娘を魅了しました。中野良子も栗原小巻も無数の中国青年を魅了しました。その中には、もちろんこのわたしもいました。日本人は中国人と同様に美しい感情を持つのだと、その時はじめてわかったのです。日本の若い女性は中国の若い女性と同じように綺麗でしたし、あえて言えば、わたしがそれまで目にした中国の女の子よりもっと綺麗に見えたりしたものです。たとえば、山口百恵は、わたしの小説をもとにした映画「紅いコーリャン」でヒロインの祖母の役を演じたコンリーより綺麗だと感じました。

   罪悪のすべては戦争にあります。戦争が人間性を滅ぼし、獣性を駆り立てたのです。戦争は人間性をねじ曲げてしまいます。戦争の罪悪は、戦争を起こした人間に責任を負ってもらわねばなりません。戦争が残した厄介な問題は、政治家によって解決されなければなりません。一般の民衆にいたっては、なんらの責任も負うべきではありません。一般の民衆こそ、真の被害者であるからです。

   二十一世紀は、我々のすぐ目の前に迫ってきています。新しい世紀において、中日両国の民衆の主題は友好であり、それは交流という過程のなかで実現されていくべきです。実際には、そのような交流は既に始まっています。物質的な交流もあれば、文化の交流もあります。わが家にあるテレビや冷蔵庫、そしてファックスやプリンタなどは、みな日本の製品です。剃刀も日本の製品です。新しい世紀においては、日本人の家庭にも中国の製品が置かれるようになりたいものです。

   二十年ほど前から、わたしは日本作家の作品を読むようになり、川端康成、谷崎潤一郎、三島由紀夫、大江健三郎……などを読みました。それら日本作家の作品は、中国の作家たちの視野を広げてくれました。現代中国の文学は、日本文学を栄養剤として、そこからいろんなものを吸収しています。いっぽう、わたしたちの作品も日本で翻訳されていますが、わたしたちの作品と、いま挙げました日本の作家たちの作品との間にはやはり距離があると、わたし個人は思っています。新しい世紀において、われわれは引き続き日本作家の作品から栄養を吸収できることを望んでいますが、同時に日本の作家からも「わたしの創作は中国の作家から影響を受けた」と率直な言葉を聞けるようになればと思っています。

   さらに新しい世紀においては、戦争のかわりに、スポーツの交流を期待しています。サッカー競技場でも、バスケットボールやバレーボール、それに卓球でも、お互いに競技し、さらには、相撲もやりましょう。わたしは相撲が大好きです。もちろん、テレビ観戦しかできませんが。もしわたしが日本で生まれていたら、作家なんぞになるかわりに、モリモリ食べて、相撲取りになるように努力すべきだったでしょう。とりわけ、日本のさる美しい女性がお相撲さんのお嫁さんになったというのをテレビで知って、わたしは、そうした願望がいっそう強くなったのを感じています。

   十年ほど前のことですが、わたしは友人と北京の街を歩いていて、一軒の店の前で「日本料理」という大きな看板を見かけました。わたしは友人に、「日本人はなぜ北京くんだりまできて銭湯を開業するのかね?」と聞いたものです。友人はわたしの田舎者ぶりを嘲笑いながら、料理というのは銭湯ではなくて、食事をするところだと説明してくれました。来世紀にあっては、すべての中国人が、料理とはお風呂ではないことを知ってほしいものです。同時に、大多数の中国人に日本料理を食べてみてほしい、とも思っているのです。昨年の春には、日本の友人で作家の南條竹則先生と一緒に、沈陽の満漢全席を食べに行きした。食べること三日間、北京に戻ったら、何と三キロも増えていました。ですから、来世紀においては、多くの日本人に満漢全席を体験して欲しいと思ってもいるのです。

   わたしの娘は、いま北京大学付属中学校で勉強しています。彼女の学校は、日本のいくつかの中学校と友好関係を結んでおりまして、最近、学校間の交流で、東京早稲田付属中学校の生徒達が、彼女の学校にやってきました。そこで彼女は、それまでずっと文通を続けてきた日本人の男子生徒の田中祐輔君とはじめて会いました。そのあとでわたしに電話をかけてきました。彼女によれば、実際に会った田中君は、黒い髪の毛を金色に染めていて、あまり好青年ではないように思われて、とても失望したというのです。わたしは、「あまり気にしなくてもいいよ、どうせ彼らはもうすぐ帰るのだから」と慰めまてやりました。 それから二、三時間してまた電話があり、彼としばらく話をしてみると、田中君は悪い子でもないように思いはじめたというのです。「何の話をしたんだい?」と訊ねてみると、「ドラえもん、たれパンタ、ピカチュウ、少年サッカーチーム……」。彼らとっては、きっとアニメや映画等が共通の話題となったのでしょう。

   翌日、また電話をかけてきた娘の話によれば、田中君に対する印象はますますよくなり、さらには彼は悪い子ではなく、実によい子だというのです。その後、さすがに電話はなくなりました。日曜日になって、家に戻った娘はすっかりご機嫌で、立て板に水を流すようにしゃべりまくりました。あの金髪の子以外は、誰も目に入らないみたいで、彼はすごくかっこいい、私と彼は同じ癖があるんだ、などと言うのです。それは、手持ちぶさたに髪の毛に指を絡まして輪をつくることらしく、娘の頭は髪の輪だらけでした。いまでも田中君の話になると、娘はもうニコニコ顔です。わが娘が、その金髪の子を好きになったのではないかと、こちらはいささか心穏やかではありません。ですが、ほんとうにその子を好きになったとしたら、それも仕方がないことです。日本人の息子を迎えることができるというのも、悪くはありません。その息子はきっと日本料理をご馳走してくれるでしょうから。

   来たるべき世紀には、何千何万人の中国の女の子が、日本の男の子を好きになってほしい。同時に、何千何万人の日本の女の子も、中国の男の子を好きになってほしい。愛情が多くなればなるほど、戦争が少なくなるからです。
 


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