『神戸っ子』月刊誌 1999年5月号掲載 毛丹青・文

 神戸には、近代中国との接点が何か所もある。歴史に残るような名所もあれば、あまり知られていないところもある。舞子駅近くの移情閣は、中国で革命の父と言われる孫文氏がかつて滞在したことがあった場所なので、昔から有名である。彼は、激動する中国を奔走した偉大な人物なんだよと、小学校時代から教えられてきたこの私だが、孫文氏に対するイメージそのものはあまり持たなかった。というのも、文化大革命に受けた教育の中で、彼のことは称えられてはいたが、毛沢東ほどではなかったからである。私にとって、その当時の教えは、神戸の孫文記念館を訪れるに到るまで、記憶として温存されたままであったが、そこにある展示品を目にした時に、何にかを見つけたような気がした。

 たとえばそれは、孫文氏と宋家三姉妹の次女宋慶齢との結婚誓約書である。また、日本に向かう船上で彼が仲間とともに書道好きの客船パーサーに書し贈ったという絹布の寄せ書き。兵庫県立神戸高等女学校(現在の神戸高校)を孫文氏と訪れた婦人が洋服姿で流暢な英語を話す姿...。

 実は、ここでひとつの啓示があったように思う。歴史というものは、大きな流れを支配する認識空間と、あくまで個人を対象とする内なる見取りがある。中国改革開放前の時代に行われた教育においては、前者によって独占されていたので、後者の個に対する所見といったものがまったくなかったと言ってもよい。私も例外なく、その潮流に呑みこまれたかのように、孫文の存在を毛沢東がいる中国でのみ、位置づけてとらえてきたような気がする。

 孫文氏に対する私のイメージは、この神戸の町にきて、はじめて確立したものだと思う。だから、そのイメージというのは毛沢東に次ぐ存在としてではなく、私の内なる認識なのかもしれない。歴史を正すような作業は、多くの学者によって行われなければならないかもしれないが、神戸という町で出会った、あの激動する時代に政治だの、革命だのという大事から離れ、ひとときの良い時間を過ごした孫文氏、そしていまも保存されている結婚誓約書に私は深く感動したのである。ここには、個人としてひとつの時代を生き抜いた独りの人間の姿が鮮やかに浮かびあがっているのである。

 私の遥想に中国の父と呼ばれる男と新婚の妻、そして舞子の沿岸、日本某女学校…それらの現実を、歴史は熱く語りはじめているような気がする。私が見つけたのは、ほかでもなく、個人として、そして現実としての歴史といものである。


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