『にっぽん虫の眼紀行』(毛丹青著・法藏館 文春文庫)書評
『婦人公論』、『週刊文春』 等から

  著者は「自分にとって体験とは日本に対する認識そのもの」という。その体験は「虫の眼」のように身近な現実を観察することによって一層確かなものになる。本書は、そんな眼で現在住む神戸をはじめ日本各地を歩き考え、時には北京の風光を思い、つづったエッセー集。後に中国語訳を北京で出版することになる親鸞の語録「歎異抄」と出会うきっかけになった津市の真宗寺院での体験などが興味深い。 『読売新聞』1998.12.4

  あふれる好奇心と鋭い感性に満ちた作品には、日本文化の底にあるものを再確認させられるとともに、日本とそこに住む者に向けられた、著者の温かい眼を感じることができる。『神戸新聞』 1999.1.10

  虫の視点だ。小さな真実を見落とさない。聡明でつつましやかな虫は、葉っぱの裏からじっと世界を見ている。この虫の眼紀行は、小さな発見の物語だ。どんなにささやかなことであれ、発見にはいつも観察と英知があずかっている。 『週刊朝日』 1999.1.15

  小さな一隅に密着した若い中国人の「虫の眼」、その感性の声として届けられることで、独特の味わいを生む。
『京都新聞』 1999.1.18

  底に流れているのは、静かでやさしく瑞々しい日本的感性といっていい。日本人から見れば、中国人のイメージを変える本です。『仏教タイムス』 1999.1.21

  最終電車の人模様、アパートから逃げ出した神戸震災、盲導犬を連れた女性、桜の開花予報などの「ニッポン」にぶつかり、本音で迫る。『毎日新聞』 1999.1.31

  本書に綴られているのは、誰もが日常で目にしているような、なにげない情景ばかりである。中国人である著者は、このありふれた光景を注意深く観察し瑞々しい文章で再現してみせる。『週刊文春』 1999.1.28

  確かな思想は言語すら超えるのだ。といっても冷たさは少しも感じず、作者の万象に対する深い愛のみがある。感情に酔いすぎることなく自らの心のままを描き、時に現代日本の語り部と化している。『月刊神戸っ子』 1999.2

  毛氏のいいかたを借用すれば、「歴史認識」が重要だという原理・原則は龍の立場からのもので、否定できない。しかし、これを包む雰囲気が無知という空白だとすれば、強調すればするほど逆効果にならないか。「虫の眼」になって、はじめてみえてくるものは、政治を含めて、まだまだあるだろう。日中関係についての一つの啓示である。
『中日新聞』 1999.2.6

  ところで、題名の虫の眼は小さな視点のことだという。些細な物事にこそ真実は存在する。それは一個人の現実を押しつぶす巨大な非現実を子供時代に経験した毛さんならではの思想である。 『婦人公論』 1999.4.22

  著者は「歎異抄」を「念仏者の深い感情そのものであると同時に、中国人からみた日本のことでもあるように思う」と、日本人の中に流れている根本精神と見ていき、念仏者の世界は「国境を超えて、通じ合える喜びと感動そのもの」と味わっている『本願寺新報』 1999.5.1

  非現実的世界で少年時代を過ごしたから、人一倍体験が大切なのだ。ドラゴンの眼より虫の眼が好きという著者は日常のささいなことも注意深く観察する。やわらかな感性がとらえた日本に会える。『CARD AGE』 1999.5

  異民族の内面世界の理解に努める。それは、幼少期に圧迫され鈍化されたという著者自身の感性を取り戻す作業でもあるようだ。『月刊PL』 1999.4

  小学校の時には「毛沢東語録」を暗誦、北京大学ではマルクス主義理論の研究に没頭してきたが、三重大学での留学生活を契機としてイデオロギーの強制支配による教育がいかに非現実的であり、人間の自由な感性を奪うかを痛感させられる。『ともしび』 1999.5


  毛さんは、共産主義の影響で「体験から離れてしまった私の感性を、日本という現実のなかでふたたび取り戻したような気がする」と日本語で記す。細やかな神経を感じさせるエッセーとなった。 『産経新聞』2001.11.14




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