毛丹青
週刊『仏教タイムス』インタビュー 2000年1月20日から連載
聞き手/長谷川現道・ジャーナリスト

幼稚な宗教政策と理解
毛丹青氏に聞く



 日本人の中国を見る目は政治的または経済的側面に偏っていることは否定できない。「だから法輪功やカルマパ17世の亡命のような宗教的事件が報道されると、ある日突然起きたような印象を受けて、事件の意味を理解するのに苦労する」と毛丹青氏は言う。

 予想もしなかった事態に直面して一種の思想的パニックに陥ってしまうのである。中国政府が当初、法輪功やカルマパ17世の亡命事件に反応が鈍かったのはこうした背景があったと考えられる。

 中国で起きた二つの宗教的事件は、基本的には政治ではなく精神の領域に属する問題と考えたい。だからこそ大切なことは宗教そのものに焦点を合わせた視点を持つことである。

 それにはまず現代中国の宗教観がどのようなものであるのかを知ることが大切である。それはこれからも発生が予想される隣国の宗教事件を分析するうえで欠かせないことになる。一般マスコミがそのことにほとんど触れていないのは理解できない。

 毛氏によれば「中国の宗教政策はきわめて幼稚だ」という。そこで中国共産党が一九八二年に定めた『宗教問題の基本的観点と基本政策の通知』を見てみよう。現代中国の宗教観はこの『通知』に集約されているといってよいからである。

 『通知』では「中国では宗教人口は次第に少なくなっている」と分析したうえで、「その理由は共産党中央が、正しい宗教政策を推進した結果である」と自画自賛している。「正しい宗教政策」とは自転(自ら広げる)、自治(自ら管理する)、自養(自ら生きる)の三自政策のことを指す。

 「三自とは要するに自主性に任せることたがこれが原点。つまり宗教には不干渉というのが共産党の基本的考え方。宗教はやがて消え去るものだから放っておいてもいいことだ」(毛氏)

 中国政府はしばしば「信教の自由」を言うが、これも同じ考え方を基本にしていると言える。ある意味では極めて楽天的である。

 もっとも宗教はやがては消え去る一時的現象どころか、逆に勢力を伸ばしているのが現在の中国社会の現実といっていい。そこで中国政府は一九九四年に『外国人宗教管理規定』を発布した。そこでは外国人は国内の寺院や教会で宗教活動することは許されるが、新たに宗教団体を組織したり宗教施設を造ることを禁止している。

 『規定』は外国人の宗教活動を牽制したものだが、法輪功を邪教と断罪したように都合が悪くなれば個々の宗教団体をいつでも禁止する姿勢でいる。中国の宗教観と政府の動向を見ていると、そこには生きた人間観が欠如していることがよく分かる。これでは法輪功やカルマパ17世亡命が突きつけた根源的問いに答えることは不可能というものである。 根源的な問いとは、人間とは物質的充足では満足できず、生命(いのち)を考える宗教的存在だといってもいい。

 「中国では今、宗教観の根本的な変革を迫られていると思う。しかし共産党政権にはしょせん宗教が分からないとしたら、宗教研究者や宗教を理解している知識人が教える必要がある。中国指導者は宗教は迷信としか考えていない」と毛氏は強調する。

 「特に浄土真宗は国家に対抗しながら八百年も伝えられてきた。宗教事件が頻発する中国にとってきわめて今日的な課題を持っているのではないか。日本仏教のメカニズムを解明することは大いに参考になるはずだ。既にそのことに気付いている知識人はいる。私の友人で『仏教文化』編集長の何雲氏が論文を書き、中国仏教界だけでなく知識人の間に大変な反響を巻き起こしたことがある」(毛氏)

 その論文は『我々は日本仏教を本当に理解しているか』というタイトルだった。論文で何氏は日本では僧侶が酒を飲み、肉食妻帯しているエピソードを紹介しながら、それでも日本では仏教が生活の隅々に生きてのはなぜか、また日本仏教の研究を通して宗教の本質に迫ることが大切であることを訴えている。

 「建国から五十年が経過しているにもかかわらず、宗教を正面から研究する大学の学部はわずかしかない中国だけに、宗教を多面的に研究する若い学者や知識人の台頭が望まれる。新しい視点から宗教を見なければ、いつまで経っても宗教は理解できないことになる」と毛氏は指摘している。 法輪功やカルマパ17世が中国に突きつけたのは、政治ではなく、まさに宗教的課題だと言うべきである。


週刊『仏教タイムス』 2000.1.27 掲載紙面




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