『にっぽん 虫の眼紀行』書評
虫の視点で小さな真実も見落とさず
旅の観察と発見をたのしく記録


評者:ドイツ文学者 池内 紀
『週刊朝日』新春特大号 1999年1月15日発売


毛さんは在日十二年目になる。神戸に住み、大阪の勤め先に通っている。幼いころ、文化大革命にぶつかった。<毛沢東語録>を暗誦させられた。研究者になるつもりで日本の大学にきたが、新しい道を選んだ。ヒマがあると、あちこち旅行をする。 北海道・羽幌港沖の手売島。天を売るとは大それた島だ。マグロ漁で知られている。民宿のおばあさんには中国人が珍しい。

「こういう島に来るのは初めてですか?」
「日本はすべて島です、初めてではないでしょう」
するとおばあさんはゆっくりと言った。
「やっぱり違うわね、中国は大きいから、言うことが違うわ」

船団が帰ってくる前夜だった。毛さんは民宿の老夫婦が「全神経を注いでテレビを見つめている」のを見逃さい。天気予報によると低気圧通過、しかし大波の心配はない。「漁船が帰ってくる前の晩は島全体がとても静かになる、昔っからのならわし」。

人柄と、たしなみが眼に見えるようではないか。同じ外国人によるにっぽんモノでも、まるきりちがうのだ。異文化で育った人が、自分のよって立つ足場を基準にして比較文化を論する。日本人を論じる。国民性や、属性や、伝統を裁断する。それはいたってたやすいことだ。何も見なくてもいい。東京のオフィスでパソコンに向かえばできる。
虫の視点だ。小さな真実を見落とさない。そのためにも、旅行にはビデオカメラを持ち歩いている。収録した画像を何度もくり返して見る。退屈な作業ではあるが、中国人としての自分の「膨張しがちな想像力」を修正してくれるという。聡明でつつましやかな虫は、葉っぱの裏からじっと世界を見ている。

勤め先は大阪駅の近くで高層ビルだ。その地下二階に、なぜか八百屋が店を出している。長ねぎ、ショウガ、ニンニクなどが匂い立って、毎日ともなると、悪態の一つもつきたくなる。野菜売りなら街角とか通りですればいいではないか。ネズミでもあるまいし・・・。

「私は小細に観察をするようになった」
そして、あることを発見した。
この<虫の眼紀行>は小さな発見の物語だ。どんなにささやかなことであれ、発見にはいつも観察と英知があずかっている。さらに対象を見るときのやさしさとユーモアとが。

明石大橋が海峡をまたいでのびていたときのことだが、沿岸近くの喫茶店で毛さんがコーヒーを飲んでいると、作業服の若者が入ってきた。入り口の辺りでカモメたちはいっせいに出迎えをした。頭上すれすれに群れ、うれしそうに飛びまわりながら、しずしずと遠ざかっていく。毛さんは言葉もなく見送っていた。

そんな「明石鳥人」を見つけた毛さんは幸せだが、読者はもっと幸せだ。「国際化」というのは、こういう人が、こういう情景を、たのしく書きとめることをいうのではなかろうか。






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