莫言と青野繁治と毛丹青



莫言の来日と『雪国』

(本稿は「中国文芸研究会会報」1999年11月号に掲載されたものをもとに、一部訂 正を加えたものである。左、『雪国』原作を読む莫言、青野繁治と毛丹青)

青野繁治(大阪外国語大学助教授)

  『赤いコーリャン』『酒国』などで知られる莫言氏が来日した。吉田富夫先生の翻 訳で『豊乳肥臀』が平凡社から出版されたばかりで、そのプロモーションも兼ねての ことであるという。コーディネータの毛丹青氏から直前に知らされた莫言訪日の日程 は以下の通りである。奈良観光が私の都合でキャンセルになったほかは、ほぼこの日 程通りに行動されたようであるが、細かな日程変更はあったかも知れない。

10月22日 関西国際空港着 毛宅宿泊。
10月23日 芦屋の谷崎潤一郎記念館見学。夜、神戸にて講演会。
10月24日 茨木の川端康成文学館見学。夜、京都大学会館にて講演会。
10月25日 京都観光。
10月26日 奈良観光。
10月27日 伊勢方面へ。三島由紀夫『潮騒』のモデルの島を見る。
10月28日 伊豆。川端康成『伊豆の踊子』の舞台。
10月29日 東京。
10月30日 駒澤大学「当代文学研究会」で講演。
10月31日 東京。
11月01日 東京。
11月02日 東京。
11月03日 名古屋→京都。
11月04日 関西国際空港から帰国。

  私は24日(日)の京都大学会館での講演会と30日(土)の駒沢大学での講演会に参 加した。それぞれの講演会の模様は、いずれ誰かがレポートされることと思うので差 しひかえたい。ただ莫言氏は駒澤大学での講演で、私と一緒に行った茨木市の「川端 康成文学館」でのエピソードについて触れられたので、そのときのことを少し記して おきたい。

  10月23日は東京経済大学で「現代中国学会」の初日のプログラムに参加し、総会に は出ないで、そのまま新幹線で大阪に戻った。家に到着したのは10時半をすぎていた が、すぐに芦屋の毛丹青氏から電話がかかった。翌日の打ち合わせである。当日は京 都で講演会があり、宿泊している毛氏宅から彼の車で京都に行くということだったので、芦屋から国道171号線を走ってきてもらって、10時に拙宅近くのファミリーレストラ ンで、私を拾ってもらい、171号線をまっすぐ茨木に向かって川端文学館に行ってか ら、その近くで昼食をとって、名神高速に乗れば、コースとして大変スムースである ので、そのように決めた。

  翌朝、外大の院生の一人と約束したファミリーレストランに行くと、なかから毛さ んが出てきて、「少し早く着いたのでお茶を飲んでました。莫言さんは中で待ってい ます」と言う。入っていくと、莫言氏は171号線を走る車がよく見える道路沿いの席 にすわって、タバコを吸っていた。黒のスーツの下は鮮やかなブルーのシャツという 姿で、派手な模様のネクタイをしめている。昨年の夏のカジュアルな服装とは違っ て、颯爽と決めたいでたちであった。彼の愛飲のタバコは「一枝筆」という高級タバ コで、ずいぶん値段も高いそうであるが、タバコの名前がいかにも作家らしいと、毛 氏がしきりに感心していた。タバコを吸わない私には、その味がいかなるものか、紹 介することができない。

  しばらくそこで雑談をしたあと、毛さんの車と外大の院生の運転する車の二台に分 乗して茨木に向かった。171号線をまっすぐ東に向かって走り、池田市から箕面市を 経由して茨木市に入る。名神高速の方へ右折する道をやりすごし、右手に松下電器の 茨木工場が見えたら、その建物の横へ右折して入っていく。すると右側に茨木市立の 図書館があり、さらに進んで西田中町交差点で左折すると、川端通りに入る。川端通 りを南下して、JR茨木駅方面に向かっていく途中に、茨木市立川端康成文学館があ る。

  茨木市青少年会館に併設されている川端康成文学館は、川端の生誕地である茨木市 が、1985年に開設したもので、著書、遺品、書簡、原稿、墨書のほか、模型、写真、 拓本、ビデオなど約400点が展示されている。生誕百年にあたる企画の一つして、 ちょうど「柿沼和夫写真展」がここのギャラリーで行われており、文学館の展示を一 通りみたあと、莫言氏は柿沼和夫の映した川端文学の世界やアンドレ・マルローの写 真などに見入っていた。

  翌週の30日には子息のロシア文学者川端香男里氏の講演会も予定されていたが、そ の日は彼らは東京に行っているはずであった。川端康成文学館は、芦屋の谷崎潤一郎 記念館と比べると規模が小さく、旧宅なども模型やビデオになってしまって、感銘の 深さでは谷崎記念館にはかなわないかも知れないが、少年時代の写真と作文や手紙の 毛筆の文字から、その幼年期の姿を偲ぶことができる。

  一通り見終わってから、毛氏が「莫言さんの講演会の原稿に『雪国』から引用があ るので原文を少し確かめたいのですが」というので、館の職員の女性に事情を説明し て、図書室を見せてもらえませんか、と申し出たところ、「一般には公開していない のですが、鍵をあけますのでご覧ください」と2階の図書室に案内してくれた。

  私と毛氏がそれぞれ単行本と全集版の『雪国』から、「一只黒色秋田狗蹲在那里的 一塊踏石上,久久地[舌忝]着熱水。」という中国語に該当する原文を探し出そうと したが、なかなか見つけられなかった。業を煮やした莫言氏は、毛氏の全集版を手に とってパラパラとめくり、「有了」と、いともたやすく見つけ出してしまった。毛氏 は感心して「さすが作家ですねぇ」を連発していた。「黒く逞しい秋田犬がそこの踏 石に乗って、長いこと湯を舐めていた。」という部分である。これは莫言氏の講演原 稿のなかで、文学の自由な表現に目覚め、「高密県東北郷」という架空の文学世界を 築くきっかけになった言葉として紹介されていた非常に重要な個所なのである。

  このとき毛氏のもっていた莫言氏の講演原稿には、「逞しい」に当たる言葉がな かった。それで「逞しい」が訳されていなかった、新発見だ、と毛氏は言っていた。 しかし私は、とりあえず毛氏が訳語を確認できればそれでいいという程度に思ってい たので、あまり深く考えなかった。川端康成文学館を出て、ファミリーレストランで 昼食をとり、その後、莫言、毛両氏は名神高速で京都に向かい、私と院生は一旦家に 帰った。

  駒沢大学の講演会に出席したあと、大阪に戻ってきて、なんとなく『雪国』のこと が気になって、研究室や自宅にある川端康成の翻訳をチェックしてみた。   私の手元にある中国語訳『雪国』は三種類で、該当個所の訳は以下のとおり。

侍桁訳『雪国』上海訳文出版社
1981年7月
 「秋田県産黒色勇猛的狗,[足采]在那儿的踏脚石上,好半天舐着水。」

葉渭渠訳『雪国 千只鶴』東北師範大学出版社
1996年1月
 「一只壮碩的黒色秋田狗,蹲在那里的一塊踏石上,久久地[舌忝]着熱水。」

高慧勤訳『川端康成哀婉小説』上海文藝出版社
1997年3月
 「一条健壮的黒毛秋田狗,站在踏脚石上[舌忝]了半天泉水。」

  見たところ、東北師範大学出版社のものが、莫言氏の原稿のものと一番近いが、 「逞しい」に相当する訳語はちゃんと「壮碩的」と訳されている。ではまだ別の版本 があったのだろうか。

 莫言氏が東京の日程を終えて関西にもどった11月3日の夜、と言っても、つい先ほどなのだが、私はこの三冊の本の表紙と該当部分をコピーして、毛氏宅にファックスで送った。その結果、莫言氏が今回の講演原稿を作成するのに寄った『雪国』の版本は東北師範大学出版社のものであったが、莫言氏が引用する際に「壮碩的」を抜かしてしまったのだということを確認できた。

  しかしそれにしても、1980年代の半ばに莫言氏が「高密県東北郷」のイメージを確立するきっかけになった川端の文が、10年も後の1996年に出版された本から引用されているのには、何となく釈然としないものが残る。たまたま最初に読んだ版本が手元になく、この本があったから引用にこれを用いたのだろうか。あるいはひょっとすると、「高密県東北郷」成立に川端文学がかかわっているというエピソード自体が、莫言氏の作ったフィクションであって、ユーモアたっぷりの莫言氏が、私たちにこっそりと仕掛けた悪戯であったのではないだろうか。「一枝筆」を吸いながらニヤリと笑う莫言氏の姿がふと私の脳裏をかすめた。(11月3日夜)


莫言と青野繁治 Photo by 毛丹青


(莫言と青野繁治、撮影・毛丹青)



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