「街から」第44号




『街から』第44号 1999.12〜2000.1 P30〜31「心に届く風」
発行/フロムタウン株式会社
主宰/本間健彦 編集人/安良岡綾子


ラジオで出会った小さいな宝石
『にっぽん 虫の眼紀行』評者:槙田史


昼日中、外出する気になれず家にいるときには、ラジオを聞くことが多い。眼からの直接的な刺激がない分、邪魔にならないのがいい。家事の手を休めることなく聞いていられるのも都合がいい。興味の無いときには、ほとんど聞き流しているが、途中から引き込まれ、たとえばログハウス建築家の話、シックハウス症候群の話など、自分の生活と関係無いにもかかわらず、真剣に聞いてしまうこともある。視覚によるごまかしがきかないせいか、ちょっとした受け答えや、言葉の微妙な調子によって、話し手の人柄が、テレビ以上にはっきり表れる瞬間があるのも、とても面白い。活字で読むことのない、俳句や川柳などの入選作をアナウンサーが読上げるのを聞いて、くすっと一緒に笑ってしまうこともある。ラジオは、思いがけない掘り出し物を見つけられるメディアだということを長いこと忘れていた。非常用に準備した携帯ラジオを風呂場にまで持ち込み、我が家では、さらにテレビ離れが進みつつある。

NHK第一の「私の本棚」を、途中から聞き、ぜひ自分でも読んでみたいと思う作品にであった。それは、ベルリンで研究生活を送る妻を、なんとしても日本に来させたい夫との、岩魚をめぐる話だった。ラジオから流れて出てくる日本語は、簡潔な夫と妻の関係を、こんなに端々しく書けるのは、どんな作家なのか、とても気になった。題名は「にっぽん虫の眼紀行」で、著者は毛丹青(マオ・タンチン)。中国の作家らしい。が、名前をきくのは全くはじめてで、著者は何歳くらいの人か、中国語から邦訳本なのか、日本語で書き下ろしたものかさえ、わからなかった。文中からの推測では、日本在住の夫と、研究生活の終了後そのままドイツで職に就こうとしている、ドイツ語堪能な妻。そして二人が中国人であることくらいしかはっきりしなかった。

しばらくして、図書館から借りてこの本を読むことができた時は、とても、嬉しかった。何よりも驚いたのは、著者が想像していたよりもずっと若かったことだ。さらに、彼自身が美しく端正な日本語で書いていることにも感嘆した。彼の用いる漢熟語のなかには、普通日本人なら使わないだろうな思われるものもあるが、情況を的確に表現していて新鮮だった。これも漢字文化の共通性のおかげとも思われるし、また外国語としての日本語の比喩や言葉遊びを著者が楽しんでいるでもあった。

本の構成は、
序・体験としての日本
1 私のめぐりあい
2 虫の眼で日本を歩く
3 北京の風光
あとがき

となっている。ラジオで聴いたのは、1の最初にある「イワナ」と、2の中程にある「防府の駅」の二つだった。どちらの話も最後の部分を聞きそびれていたため、本を読んで、そうだったのかと感動がさらに、深まることになった。「イワナ」の章を読み終えた時、清々しい恋の物語を読んだ気がした。この一章を読んだだけで、私は、素晴らしいめっけものをしたことに気がついた。

「防府の駅」は、まるで秋の日のメルヘンのようだった。一万円札の両替が間に合わず、著者が列車に乗り遅れて怒る話には、笑ってしまったが、そんな田舎の駅ならば、「切符は車内で買います」と言って、強引に列車に乗ってしまえばよかったのに…。まぁ、それではこんな経験に出会うチャンスもないことになり元も子もないのだが、それが普通の眼前で金色の落ち葉をホームに掃き散らす駅員。何だか非現実的だ。しかし、結末を読み終えた時、黄金色の落ち葉の色が、私にもはっきりと見えた。これが宮沢賢治の童話であっても、少しもおかしくない気がした。

「わが町、神戸よ」の章を読んだときは、著者が被害した垂水区には、わが義弟の両親が住んでおり、妹夫婦が必要とされるものを詰めこんだリュックを背負って大回りをして明石の側から、安否を確かめにいった記憶もあり、他人事とは思えなかった。震源からかなり近かったにもかかわらず、義弟の実家とその周辺は、家は傾いたものの幸い大きな破損は免れた。それが、この辺りの住宅の基礎は、岩盤に直接打込んで防災対策を講じてあったためだったというのは、この本によって初めて知った。

あの阪神大震災では、多くの命が奪われた。「ルミナリエ」の章は、美しく、そしてとても悲しい。山の手線の車内で読み進むうちに、目の前がぼやけてきた。著者の友人の可愛い娘を失くした悲しみは、彼の心の中に閉じ込められ氷のように固まっていた。小さな美しい灯りに照らし出され、その悲しみは、少しずつ溶け出し解き放たれていく。愛娘を失った辛さが簡単に癒えるはずもないが、それでも彼は生き続けるための何かを、この灯り=リミナリエから授かったのだろう。その友人の姿を見守る著者の眼の限りない優しさ。

ほかにも、桜にまつわる連作、ロックベーシスト・張炬への追悼など、心に染み入る話ばかりだ。小さいな宝石を集めた小箱のような美しい本だ。それぞれの場面が、鮮やかな色彩とともに眼に浮かんでくるのは、彼が絵画に造詣が深いことにも関係があるのだろうか。「明石鳥人」の章の、白いかもめたちと、緑色の作業服の架橋工の姿は、もう私の心を離れない。このかもめの話で、須賀敦子さんの著書を思い出した。須賀さんとこの本の著者毛丹青氏には、何にか共通点があるようだと、ふと考えた。「悲しみを知る人」と言うのが、その答えである。それは、異郷に生きることで知る悲しみでもあろうし、また大切な人の死を抱えて生きる悲しみでもあるのかもしれない。そして、それは、あくまで胸の奥深くひっそりとあり、前面に現れてくるのは、やわらかな眼差と明晰さと優れたユーモアである。

久々に、読んでいて心が晴れ晴れし、頭が明瞭になる本にめぐりあえた。

 






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