李沢厚 哲学者 李沢厚を訪ねて
『吉田山荘』
京都にはじめてきた人が、この土地の風土に馴染めないのは、もしかしたら正常なことかもしれない。しかし、もし三回以上も訪れて、それでも何かしら奇異な感じを受けるとすれば、これはその人の習慣が変えがたく頑固なことを示しているといえるだろう。日本式の伝統的家屋に泊まりながら、哲学者・李澤厚先生は畳の上でもスリッパをはかなければならない、そうでなければ不快だと言う。

日本では、畳の上でスリッパをはくのは許されないのに。

去年の大晦日、李澤厚先生が日本を訪れたとき、招待者一同は彼を懇ろにもてなし、京都の吉田山荘に投宿するよう手配した。四日間の滞在期間中、李先生は他の都市に行くこともなく、古都に留まり、哲人の孤独な性格をここでも見せた。

哲学者との会話は、話題がとても豊富である。最近出版された日本語訳の『中国の伝統美学』から、李先生の提唱する第二次文芸復興、あるいは一昨年学界の論議を巻き起こした『告別革命』(「革命よ、さらば」)まで。先生は常に思考し、時には滔々と論じ、時には紙上にすばやくペンを走らせ、語彙を書き出し、それからこれらの字を見つめて、沈思を始める。

「もし四文字で日本人の生死観を表現すれば、どう言うべきだろうか。中国人は「重生安死」(生を重んじて、死に安んじる)、日本人は「軽生尊死」(生を軽んじ、死を尊ぶ)だろうか? 私はこうとは言い切れないと思う。毛君、どう思うかね?」

私はいつものように、やはり自分の日本での経験の中から例を探して話し出す。前に李先生と日本の問題について論議したときも、私の話題のみなもとはこうだった。いつもこういった話題になるたび、李先生は必ず興にのり、時には電話でも、私たちは長いこと語る。しかし、声だけで姿が見えないと、李先生の湖南なまりが時には聞き取りにくく、そしてそんな時に限って往々にして彼がキーワードを強調していたりする。面と向かって話しをすると、自然とこの障害も気にならず、話しのおもしろみが増すことは、もちろん言うまでもない・・・

その日の夜、私は神戸へ帰らず、京都に一晩投宿した。明け方、空気は清新でごく淡い霧は視線を遮るほどでもない。私は好奇心を覚え、吉田山の周りを散策し、この地の美しい景色を観察した。不意に、庭園の杉の木が風変わりなのを発見し、感ずるところが幾つかあった。

吉田山荘はかつて東伏見宮の別邸で、昭和初期に造営された。この場所は小さな山になっており、日本人は「三十六峰」の一つと称しているが、私が思うにこれはいささか誇張だ。しかし、山自体はさしたる景色ではないにしても、ここは東山の北端に位置し、長々と連なる温和な山は、緑色の屏風のように、吉田山を半ば囲んでいる。遠くから杉の木を望むと、自然と格別な情緒がある。

本来、杉の木は非常に高く真っ直ぐそびえたち、一種の威厳と剛健の風格を具えているものだ。しかし吉田山の杉は一種の陰柔を表現している。これは日本人の入念な人工処理の結果で、杉のもともとの性質を変えている。杉はもともと枝葉が盛んに茂り、木全体は三角形をなしている。しかし、ここの杉の木は下の方の葉が刈り取られ、上方にわずかに刈り残した葉があるばかりで、孤独で寂しく、弱々しく見えた。ここの杉は人為的に切断されて、成長と抑制という相反する主題が表現されている。よく言うところによれば、京都には有名な杉が二種類あり、一つは「北山杉」、もう一つは「台杉」というそうである。

―― 杉の木を庭園の借景とすることは、まさに静寂、平和、孤遠という茶道の境地に適うものである ――

多くの人は言う。日本人は自然を尊ぶと。これは周知の定論である。しかし日本人のいう自然は、時にはある種の「加工」を経る。つまり、述的表現を用いれば、この種の加工は日本人の心象の外化と言ってもよく、あるいは一種の有形の転移である。日本の杉の造型は室町時代に遡る。これは茶道の誕生と時を同じく、茶室と書院建築が盛んに行われた時代である。そして杉の木を庭園の借景とすることは、まさに静寂、平和、孤遠という茶道の境地に適っている。この種の貴族文化の感性は当初から高雅なものとして奉られ、同時に一種の憂傷を表現するものでもあった。

李沢厚先生と毛丹青 このような見方は、私の観察の一つにすぎない。翌日、李先生と閑談してるとき、私は杉の木を描きだして、彼の意見を求めた。当然、吉田山荘の茶室からは、さらによくこの情景が観察できる。李先生は、何かを考えている様子で、それからこう言った。

「これは日本人の造境でしょう」

造景が外界の、物質的なものであるとするなら、造境は精神的境地を指し、造景は造境を深化するために存在し、景から境を出て、景から境に入り、自然の事物は人間の情感を喚起する。これは私に李先生がかつて話してくれた「日本人の理性はただの外殻にすぎず、内心の深いところにかなり大きな情感の要素をもっている。あるいはそれを感性と呼ぶのかもしれない」という言葉を思い出させた。思うに、このときの李先生の言葉は日本を認識する一つの角度で、吉田山荘の美しい景色についてのみ述べたものではないだろう。

この山荘については、私はもう一つのことを実証したかった。それは吉田山は「山峰」かそれとも小さい山かということだ。そこで、私は李先生の滞在最終日、神戸から車をとばし、また吉田山へやってきた。まず山道に沿ってまっすぐ東山をめざし、見晴らしのよい場所から、京都を見下ろした。麗らかな陽光はまるで古都に輝いた金箔を敷き詰めたように照り映えて目を奪い、吉田山は干しぶどうのように、とても小さかった。

吉田山荘はもともとは貴族の遺物であり、そのため憂傷の感覚を人に与える。それは貴族の気質であるが、しかしそれが意味を持つのは、今日の日本人もやはり内心で情感を追い求めているからだ。天性に背いた吉田山荘の杉は毎日無言で立っており、変わることない。それはまるである種の日本人のこころの象徴のようである。

その日、吉田山荘を訪ねたあと、門衛の老人に行き会った。彼はちょうど目を閉じて合掌しており、顔は庭園の奥にある杉に向いており、「南無阿弥陀仏」と唱えていた。

私はふと腕時計に目をやった。時計はちょうど李先生が日本を離れる時を刻んでいた。




李沢厚 現代中国を代表する哲学者 現在アメリカ在住
著書には<中国思想歴史論>や<カント批判哲学の批判>等多数、日本語版
<中国の伝統美学>などもある(平凡社)



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