崔健インタビュー(text by 毛丹青) 香港『華人』月刊誌掲載

毛: 私たちは同世代ですが、あなたの「一無所有」(俺には何もない)が当時の社会に与えた衝撃は今でもまだはっきり思い出すことができます。少なくとも私のようにその後長く海外で生活している者にとってはそうです。この曲を聴くたびに受ける感じというのは、ロックそのものが与えるものとも違う、ロックそのものに入りきらない何か。そう、あの曲が私たちに見せてくれるのは当時のあの閉ざされた時代を抜け出そうとする勇気と内なる心のめばえなのです。この曲と中国のロックについて、あなたはどう考えていますか。

崔: 僕は「一無所有」をロックだと思ったことはなくて、これはあくまで流行歌、ただ単に一曲の歌なんだと思っています。もし僕がその後続けてほかの曲をつくらなかったとしたら、僕の今のロックのスタイルは確立できていなかった。
ところで、ロックの出現はひとの出現です。ロックによって人間が表に現れてきた。僕たちの作詞、作曲の態度はいままでの音楽家とは全く違う。それまであったのは革命歌曲とか主旋律、そのほかにあるのは伝統的な民謡などだったけれど、僕たちの音楽が描くのは都市、現代の感受性です。正確に言えば、ロックは現代の都市の自由な創作音楽なのです。
僕は、中国のロックは現実を受けとめる力の表現だと思っています。力の大きさを表現しようとするときは、なにかと比べてみて力の大きさを量らなければならないでしょう。ロックの持つ「受けとめる力」を見ようと思ったら、音楽という反対向きのベクトルをもってこないといけない。上向きにひっぱる力と下向きにひっぱる力があって、二つの方向に引っ張り合うからこそ音楽の力の大きさがどれくらいなのか分かるのです。
あなたが何かをうまく表現しようとするときにはあなたを引っ張る上向きの力が必要で、この力というのが現実の問題というわけです。だからはっきり言って、僕はまず社会の問題を探すのが先で、後からそれをおもりにして僕の音楽を量る。
ある問題についてほかの人は誰も口にする勇気がない、でもあなたはそれを語りたいと思った、そしてあなたの言うことが本当の話で少しのごまかしもなければ、これは一番力がある。このようにして生れた音楽だからこそ人を強烈に揺さぶることができる、まさに力なのです。もし表面だけ真似しても中身がなければ、髪を伸ばして細身のズボンを穿いてみても、やたらとギターを振り回しても、それは単なるステージ・ショーにすぎず、力ではなく、ロックでもないのです。

僕は、音楽の内容と形式は一致しているべきだと考えていて、ロックこそが社会問題を表現する。実際は、当時の「一無所有」はまるで化学反応のようなものでした。社会にこの種の反応を受け入れるベースがあった、つまり人々は年がら年中窮屈な生活をしていて、発散させるところのなかった感情をこの突然あらわれた歌によって解き放つことができた、だから反応が生まれたのです。もしこの歌を今発表したとしても、誰も見向きもしない。実際は、当時の「一無所有」はまるで化学反応のようなものでした


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