NHKテレビ「こころの時代」撮影中の毛丹青
愚かさの自覚

(その一)
   歎異抄は、特に前半部分が言葉は簡潔で、迫力がある。責任という問題と、悪人の自覚の問題が、とても強い訴えかけで、私に迫る。前半第一章から十章までは短い文章だが、奥行きのひろがりがある。だから、私の訳本も前半では注釈がすごく多いけれど、後半は本文だけで注釈は少ない。それと、ひとつ申したいことは、文化大革命の頃、私たちは毛沢東の『語録』を読まされ、暗誦させられました。当時毛沢東は神様みたいな存在だった。その『語録』は本人のあらわしたもの。『歎異抄』は弟子の書いたものです。永遠の書というのは、こういう形が多いのです。キリストの『聖書』でも、孔子の『論語』でも、後から弟子の書いたものの方が、信頼感があるんです。これまで中国では、マルクスの著作でも、本人のものばかりを過大に尊重して、周りや他をかえりみなかった。これは一つの問題ではないかと思う。本人自身からその本人を学び、研究するばかりでなく、その周りの者の受けとめを学ぶということが大切だと、歴史に残る古典から教えられます。それが果たして本人自身がいったことだろうかの疑問も出ますが、それよりも教えを受けた人の記録は、私たちにとっていろんな意味をあたえてくれるんですね。


(『親鸞と歩む』(歎異抄と毛丹青さん)著者亀井鑛 大法輪閣刊行 下巻P171.平成八年十二月出版)


(その二)
   初の「歎異抄」中国語訳本を北京で出版する
「中国は経済が急成長しているが、貧富の差が生まれ、犯罪が急増している。心の廃棄を救うためにも今、親鸞の歎異抄の教えが必要」という。天安門事件に衝撃を受け、ベルリンの壁崩壊では現地滞在中に激動を目の当たりにした。「自分にとってもこれまで育ってきた何にかが崩れた」
北京大学で哲学を学んでいたが、発展する日本の経済・文化に興味を持ち、日本語も習得。卒業後、中国社会科学院の哲学研究所員に。世界の情報が中国を襲う中、自分たちの立場を日本から見つめたいと六年前、三重人文学部へ留学。「日本人の考えの根にあるのは、日本独特の仏教、浄土真宗」と、その研究に焦点を合わせた。 「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」の歎異抄の核心部分は、現在の中国を考えると誤解されやすく、翻訳には大変神経を使ったという。「悪人という意識は、自分を見つめれば、自分も他人に迷惑をかけているという深い自覚」ととらえるなど「私から見た歎異抄」の文章も添えた。
哲学研究所時代の一九八五年、柳田聖山著「無の探求・中国禅」を訳し出版。近く再版予定で、出版されると十万部を超えるという。「二十年前の中国なら、目に見えない心などは信じてもらえず売れなかっただろう。でも中国人は今、人間の魂に呼び掛け魂を救う歎異抄の心を求めています」

(『毎日新聞』1993.4.5 朝刊)


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