毛丹青

日本人を考える・・・・
終車で目にとめた男女

外から見たNIPPON
佐伯修/文
「日録二十世紀」に掲載(スペシャル10・講談社)
20世紀「男と女の事件薄」

中国人作家・毛丹青が最終電車で
目にとめた男女間の「小さな事件」


   神戸市内に妻と住む、北京生まれの毛丹青(一九六二年〜)が、大阪の会社につとめるようになってまずおぼえたのは、神戸行きの快速電車の最終の発車時刻である。
ある夏の夜、大阪のバーで旧友たちと盛り上がった後、「大きな蒸篭」のような通りを駆け抜け、「肩の力で両側から閉じようとする自動ドアを押しとどめて」終電に飛び乗った彼は、一人の女性に目をとめる。「目を真っ赤にして、右手で吊り革をもち、左手にクリーム色のバッグを持っ」た彼女は、横に立つ中年男性に、しきりに何かをうたかけている。「きいてもらいますよ」と念を押しながら、彼女は言う。

   「私の成績が誰に負けてるって言うんですか・・・なんであんなしょうもない男どもにお茶を出さなきゃいけないんですか、朝っぱらからデスクを拭いてあげて・・・私、私、私が何でこんな事しなくちゃいけないんですか。課長、言って下さい」

   どうやら、女性は企業の営業部門の綜合職で、男性はその上司らしい。お茶汲みばかりさせられている不満をぶつけられた男性は、かなりうろたえて、女性を「横目でちらっと見ることさえせず」社の上層部の意向や組織の慣習を盾に、逃げ口上を口走る。これに対し、女性は「興奮してきたが、声は大きくはな」らず、近くでやりとりに耳を傾ける毛は、それを日本女性の「伝統的な美徳」意識のせいだろうかと考える。

   だが、電車が芦屋の駅に到着し、男性が「これでやっと逃げられると言うように、急いで彼女に手を振り、それじゃあと言った」瞬間、劇的な場面展開が起きた。やにわに男性に歩み寄った女性が、以前からの彼への愛を告白し、彼の頬に接吻したうえ、上目づかいに彼を見つめたのだ。

   男性の「頬にはくっきりと彼女の口紅の跡」が残り、「彼の足取りは乱れたが、すばやく落ち着きを取り戻し、電車を駆け降り、急ぎ足で雑踏の中に煙のように消えていった」。一方、女性は「まるですべての力をいっきに使い切ったかのようだった。彼女のさっきの話はきっと酒の力を借りて捨て身になって言ったのだろう」。

   以上、平成十年に出版された毛の日本語によるエッセー集「にっぽん虫の眼紀行」より。 中国社会科学院で哲学を研究し、来日して「歎異抄」の中国語訳を完成させた毛は、「小さな視点」を重視し「ドラゴンより虫の眼が好き」と言い切る。ここに紹介したエピソードも、そんな彼が「虫の眼」で拾った、男女間の小さな「事件」である。

● 「日録二十世紀」講談社刊行




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