超積的北京

 先週2年ぶりに北京へ帰省した。

 飛行機から降り立った私を迎えた空気は、相変わらず馴染みのあるものだった。前回故郷を離れるとき、街はどこもかしこも土埃の舞う工事現場だったが、今回帰省してみると、街の中は随分静かになったように感じた。工事中のところは目につかなくなり、地固め機のうなり声もあまり聞こえなくなっている。
 建築現場の足場に囲まれた高層ビルは一層一層と新しい姿を見せ始め、首都の風景に輝いた色彩を添えている。私はこのように平和的な雰囲気は、北京の人々に静けさをもたらしているだろうと思っていたが、このあとの2日間の私の体験の中で、この考えは必ずしも当てはまっていないということに気がついた。もちろんこれは私にとって意外なことであった。

その一、

 タクシーに乗って、いくばくも話をしないうちに、私が60年代生まれの北京人であることを知った運転手が突然いった。「あの年代はまったくひどいもんだった!」  運転手が指しているのは文化大革命のことである。しばらくして運転手は続けて話し始めた。
 「俺の家の近所に書生が住んでたんだが、そいつはそのとき一日中つるし上げを食らって帽子をかぶせられ、大通りを引き回されたのさ。その書生ってやつは生っちろいやつで、そいつがそんなひどい仕打ちに耐えられると思うかい?とうとうそいつは死のうと思ったんだが、家族にまで害が及ぶのを恐れて、こっそりと通県に逃げ、一軒の農家にたどり着いたんだ。ちょうどその家には誰もいなかった。書生はかまどの前にあった包丁を手に取り、自分の顔をめちゃくちゃに切りつけ、誰だかわからないようにしてから河へ身を投げたんだそうだ。農民はかまどの前に小銭が置かれているのを見つけた。そのお金は書生が置いていった包丁の借り賃さ。あのころは本当にとんでもねえ時代だった。な、そうだろう?」
タクシーはとんでもないおんぼろで、飛び跳ねるようにして走り、エンジンの音が騒々しい上に運転手の声も高く響いた。私はしばらく話をしなかった。北京空港を出たばかりのときに感じたあの静けさの感覚は、無情にもわずかな時間の間に蹴散ちらされてしまった。私はなんだかとても辛かった。
 このとき、ハンドルを握っている運転手はまだ何かぶつぶつ呟いているようだったが、私は敢えて彼に何も尋ねようとはしなかった。聞くともなく運転手が「今の改革もそんなに素晴らしいものじゃない。俺達の生活がたいしたことはないさ、」
 この彼の言葉はもしかしたら正確ではないかもしれない。

その二、

 “神牛”に乗って前門通りをぶらぶらするというのは賢い選択である。一つには“神牛”ブランドの三輪車の車台にはスプリングが取り付けてあり、車の幌の中にはいると、悠々なるかな、気持ちの良いことこの上なし。二つには、“神牛”は渋滞でにっちもさっちもいかない道でもすいすいと走って行ける。渋滞で微動だにしない車を横目に、ちょっと高貴な人になったような感覚を味わうことができる。
 三輪車をこぐ老人は話好きで、その声はよく響いた。彼の口は絶えずぱくぱく開いたり閉じたりし、暇を見つけてはこちらを振り返り、まるでお客が彼のご高説を聞いているかどうか観察しているかのようである。もともと私は車の幌の外に見える景色を眺めようと考えていたのだが、こんな風に観察されているのでは彼をがっかりさせないためにも、話に耳を傾けざるを得ない状況になってしまった。
 「なあ、お客さんよ、今の世の中なんでこんなにほら吹きが多いんだろうねぇ。この前わしは二人の田舎者を乗せたんだが、そいつらは車に乗っている間中、わしの後ろでほらばっかり言っておった。そのうちの一人は兄貴と李嵐清は親戚だってぬかしやがるし、もう一人は実家が揚州にあって江沢民の家と自分の実家は隣近所だから、北京へ来ても怖いものなしだと豪語しておった。まぁ、所詮何を言おうがだだじゃからな。ここまでやって来てまで自分を大物に見せようと思っとるのか?まったくもってくそったれめが。そいつらのほらはますますひどくなる一方で、そいつらの祖先が都の皇帝だったと言うのを聞いたとき、わしは腹が立っちまって、そいつらの鼻もちならん言いぐさを放っておくことができなかったのさ。で、わしがどうしたと思う?わしはそいつらを騙して、その場所で車から降ろしちまったのさ。なに、構うもんか……。」
 「その人たちは土地に不案内だったでしょう?あなたはそんな人たちを途中で降ろしてしまったんですか?それにそんなことをしたら、あなたは車代を貰えなかったんじゃあないですか?」私は慌てて“神牛”三輪車をこぐ老人に尋ねた。彼の頭はあまり大きくないが、とても精悍な感じがした。
 「お客さん、あんたも北京の人間じゃろ?どうして田舎者に好きなように言わせておくのかね?わしは大ぼら吹きのお客さんにはみんな降りていただくことにしているんじゃ。わしは昔っからおもてなしっていうもんがどういうものかわからないんでね。」
 私は彼が外省人に対して、なぜここまで地元意識をむき出しにするのかわからなかった。もちろん私もほらを吹く訳にはいかなかった。なぜなら、目的地に着く前に彼から追っぱらわれるのはごめんだったからだ。彼の話によると、その途中で降ろされた二人の田舎者は大きな声でわめいて彼の仕事ぶりを罵ったそうである。その結果、彼はただ三文字だけ答えた。
 「超載了!(積載オーバーじゃ。)」
私はそれを聞くとおかしくてたまらなかったが、ぐっと笑いを飲み込んだ。

その三、

 時代とは変化していくものである。一旦その変化のスピードが私たちの想像を超えてしまうと、ある一種の不均衡が生み出される。道理沿って話をしてみよう。北京人は本来実直で、誠実で、また話し方は軽快である。しかし現在彼らは重苦しく、軽率であり、ないしは心の奥底では心のよりどころがないと感じている。このように北京を見るのは、恐らく私が隣国に住んでいることと関係しているのだろう。故郷を離れている時間が長くなり、物事を見たり論じたりするとき、その環境の中からではなく、表面だけを見て全体的な印象を捉えるだけになってしまった。今回私は老作家の邵燕祥を訪ねた。私は彼に自分が現在感じているこれらのことを話した。彼は私の話を聞き終わると笑みをたたえこう答えた。
 「私は毎日外へでて買い物をする。街角で野菜を買えばその日の値段がわかり、人々の喜びや楽しみ、また悲しみを目の当たりにすることができる。これは外の世界にいては見ることができないものなんだ。住んでみて、生活してみて初めてわかるものなんだ。」
 私は慚愧の念を感じると同時に一種の不安を覚えた。もしかするとある日北京は私のことを“外からやってきた通りすがりのお客”と認識するかもしれないということだ。つまり風に揺らめき消えていく一筋の煙のように声も出さず呼吸もせず、何の痕跡も残さないものとして。
 もちろん北京で生活をして、北京の街や人々を直接肌で感じ理解することは必要ではあるが、北京を離れても故郷に対する関心を失ってしまうとは限らない。私は北京に対して静けさが備わっていると感じたが、タクシーの運転手に対しても、また“神牛”のペダルを踏む老人に対しても言うまでもなく、北京の重苦しさと軽率さを発見してしまった。これらはすべて私個人の感覚であり、恐らく自然と発生した本能による北京に対する関心であろう。
 私がこのように考えたのには一つの理由がある。それは私が北京で《超載》の歌手高旗に出会ったからである。

高旗と毛丹青 その四、

 高旗は秀麗な顔立ちをしており、彼に出会ったり、彼の長いおしゃべりを聞いただけでは、恐らく彼の音楽の中の叫びと狂気を想像することはできない。これはちょうど私が北京から受けた印象と似通っていて、表面と内面との格差が非常に大きいということである。このような格差を縮めるために私は高旗に「あなたはなぜご自分の音楽のことを‘超載’と呼ぶのですか?」と尋ねた。
 「今の世の中したいことがあってもどうすることもできないということが多すぎる。周囲の空気は密封されており、その中で自分というものは死んでしまっていて、まるで缶詰の中にでもいるような状態だ。我々を運ぶ車はずっと前から重荷を積んできた。それも何千年も前からだ。もう疲れきって、重荷に耐えられず動くこともできない。私の音楽がどこから来たかって?つまりこのような状況から生まれるべくして生まれたのさ。何も特別なことはない。私はこれを超載と名付け、これが最も簡単な表現方法だったのさ。」

“超載”CD表紙  高旗はそう私に話しながら、彼の最新アルバムについての解説をしてくれた。この作品は中国火音楽で製作、発表されている。そのなかの《死の詩》という曲が文化部門審査を受けたとき、「あまりにも感傷的で、陰鬱である」との指摘を受け、また「‘死’について歌うことは認められない」として曲名を変更するよう求められた。そのため高旗は“死”という文字を“生命”と置き換えたが、彼は英文訳には創作時の意味を含んだ“Poem of Death”(すなわち“死の詩”)とすることを要求した。
 そういう訳で、この頃中国国内で大反響を引き起こしている“超載”のCDの裏表紙に“生命の詩”という中国語と英文に訳された“死の詩”という文字を見いだすことになる。これはなんとも滑稽なことで、人々の嘲笑をさそう。しかし自由自在に自己を表現したいと思っている人や真に中国を理解している人から言わせれば、これは深刻な重苦しさを表現している。まさに高旗の歌詞と同じように。


“超載”  低下頭是人間
 頭を下げて見えるのは人間だ

 抬起頭是天辺
 頭を掲げて見えるのは青空だ

 転過身是欺騙
 過去を振り返れば、欺瞞に満ちていて

 走向前是無言
 未来に向かって歩けば、
 無言の世界が広がって行く


    《超載》第三曲



(1996.8)
終わりに、

 北京には私が飛行機を降りたときに感じたような静けさは存在しなかった。高層ビルが林立し、一見秩序だって見えるが、一人一人の言葉の中から外に向かって発せられるエネルギーが感じられた。それはとても強烈で、少なくとも私が日本へ帰ってしまうと感じることができないものである。人々はまるで舟曳き人夫のようである。今まさに膨大な時代を引っ張っている。一生懸命前へ押し出し、引っ張っている……。
 北京を離れるその日、私はタクシーに乗って空港へ向かった。運転手はものも言わずに車を運転し、人と話しをするのはあまり好きではないようだった。私は彼の右側に退屈な思いで座っていた。窓の外に見える景色はこの何日間かですっかり見飽きてしまって、何の新鮮味もおもしろみも感じなかった。
 そんなとき私は目の前のフロントガラスの右上の隅に、色々な様式の丸い紙が10枚ほど貼られているのを見つけた。私は興味を覚え、顔を斜めにしてフロントガラスに近づけて、それらを眺めた。裏側に公安局の道路管理局や自動車管理所、道路補修所、自動車税、保険証明書……などの発行機関の名前が書いてあるのが読み取れる。色鮮やかで、まるで万華鏡のようである。私がそれらを見ながら口の中でぶつぶつと一枚ずつの名称を読み上げていると、運転手が口を開いた。
 「俺のポケットにはまだ2枚あるんだが、どんなのか見たいかい?俺は面倒なのが嫌いで、根っからフロントガラスに貼る気なんてないんだが、こんなにたくさんのシールを貼ってどうするんだろうね。本当に面倒さ。シールを貼りつづけたら、俺はどの車も重みで沈んじまうと思うよ。」
………
 このとき私はすべてがわかったような気がした。私の故郷である北京にとって現在最も必要なのは、荷を軽くして進んでいくことなのだと。これ以外に何が必要だろうか?

(中国語原作は1997年3月に中国知識界に影響力を持つ『華夏』月刊誌に掲載されたが、翌月にこの雑誌は突然の廃刊となった。未だに原因不明。)

『にっぽんやっぱり虫の眼で見たい』(朝日新聞社刊)に収録





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