歎異抄

聞法・・・・・
悲哀と無常「こころの光」(東京・西徳寺にて)

歎異抄を中国語訳して
毛丹青に聞く

<ひとりふたり>誌(法蔵館刊)95年秋号掲載
聞き手:石川県専勝寺住職佐竹通さん


(抜粋)
私はエジプトでピラミットの中に入った時、とても感動しました。ピラミットの地下通路の角に鏡がつけてあるんです。外からさし込む太陽の光を鏡が反射し、次の角の鏡に光を伝え、また次の角の鏡が反射して中に伝えるというふうにして、一番奥の部屋まで光を通して明るくしてあるんです。それを見て私はこう思いました。太陽のさし込む光は阿弥陀仏の光明ですがね。救うという仏の光。鏡は一人ひとりの信心というか心です。それが伝わって中まで明るくなる。親鸞の理解でいえば、その光、阿弥陀の本願が大事なんです。それと、それを受ける鏡がピェア(純粋)になるのは、自分の罪の深さに気づくというか、自己の否定を通して反射するんだと思います。中国のことばにも<否中有信>というのがありますが、否定を通した信によって鏡が反射していくんだということが親鸞の信心にあると思います。中国でも一般的な仏教理解は死後の幸福のために善行を積むということで、

いろんな迷信的なものが入っています。しかし、人間としてどう生きるかということで、阿弥陀の本願を悪人正機と受けとめ、否定の中から信心によって生きるという親鸞の考え方は、宗教というよりは、現代の人間の問題として注目すべきものだという気がします。



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