伊勢徳(称念寺住職)/文


  神戸に住む親友の中国人エッセイスト、毛丹青君より10月半ばに驚くべき誘いが届いた。それは、10月22日に来日する現代中国の文壇の雄である莫言氏と共に三重県の神島へ27・28日にかけて行くので、私にも同道しないかという電話であった。

 それは文学者、莫さんが、今回約2週間の日本滞在するという。その間にぜひとも三島由紀夫の小説『潮騒』の舞台の島、また川端康成の『伊豆の踊り子』の小説の場所に立ち寄りたいというスケジュールの中の一コマに誘ってくれました。すぐさま快諾。

 莫言(モウ イエン)
 一九五五年、山東省高蜜県の農民の子として生まれる。 幼少期に文革に遭い、生まれた村で労働のかたわら、兄の教科書や旧小説で、文学に目覚める。

 76年に人民解放軍に入隊。81年頃から創作を始める。85年に『透明な赤蕪』で文壇にデビュー。翌86年『紅い高粱』で、中国農民の原始的生命力を描いて、不動の地位を確立。以後、『酒国』を始め、作品多数。『莫言文集』全5巻があり、その総決算が『豊乳肥臀』。99年秋に平凡社より刊行された。

 その27日まで、私は小説『潮騒』の名場面の情景とあらまし等をインプットし、さらに三島由紀夫文学の変遷を整理して、莫さんに解説すべき心づもりをして当日の朝を興奮の中に迎えました。莫さんは、どんな人だろうか?仲良くなれるだろうか?などと思いを巡らせながら。

  運命の嵐

 当日、朝から雨。気持ちが高ぶる中で、その日は早々と私は法務を終えた。衣を着替え、三重に出かける段になった頃、電話が入った。伊勢神宮を見学中の毛、莫さんの二人からの電話であった。「午後からの神島行きは中止にします」と。「えっ?」
 三重県鳥羽地方には強い低気圧によって、暴風雨波浪警報が出ており、悪天候で鳥羽発のフェーリーが出航できないとのこと。
 だから、神島行きの計画を断念して、代わりに「称念寺に行く」と言う。よって、私に寺でそのまま待機するように、との指示がありました。
 これを受けて私は、坊守と主任保母に伝え、莫、毛さんが寺に来るから、どのように接待するかと相談を始めた。そして、慌ただしく準備を開始。こうして、予期せぬ嵐はお寺に莫さんとの深い縁をもたらすことになりました。

 10月27日。書院に香を焚く。

 午後4時、今アジアで最も熱く燃えている作家・莫言さんは、降りしきる雨の中にやって来た。大柄で小太りな男であった。文学者のということからすれば、細身で神経質のイメージを描いていたが、外観は違っていた。大きな旅行カバンを軽々と持ち、小柄な友人・毛君を従えて、ダンディーな身なりで現れた。灰色のカラーシャツに、グレーのスーツに身を包み、中国人にらしからぬいでたちであった。

 彼は、毛君より私のことは聞いてやってきただろう。また、中国語訳の『川向こうの鐘』のくだりを読んでいるに違いない。互いに初対面という距離でしばらくは展開した。
 寺に来られたからには、まずもって本堂に参拝。客人二人をお御堂に案内する。
 しばらくはアミダさんの前できちっと正座、合掌・礼拝。
 莫さんはその時、経机に置かれた三部経を見つけて、両手に経本を頂きながらそっと開き、ゆっくりとお経を読み始めた。(漢語で)隣に座った私も、彼に続いてピンイン(普通語)で発声。中国語での経文が堂内に静かに流れた。この場面で、互いに距離が近づいた。

 接待のために書院に入っていただく。坊守が丁寧にお二方に抹茶を差し上げる。さすがにこの時、女房は堅苦しそうにかしこっまってのご挨拶。

 しばらくした後、会館の部屋に移っていただく。ここでは、山東省の泰山の美術品である金剛経の拓本を鑑賞してもらう。私が自己紹介がてら解説を始めました。22年前、初めて訪れたのが、奇しくもそれは莫さんの生まれ故郷でもある山東省でありました。以来、済南市、泰安市を訪れること度々。山東省がふるさとの莫さんには、特別な親しみを感じつつ会話が弾みました。

 夕食は寿司屋に出かける。あんきもをはじめにして、生カキ、焼きはまぐり、にぎり寿司などを私が注文。日本酒もまた飲んでいただきました。すすめた料理を、次から次ぎに断ることなく口にされました。(一般に中国人は生ものを食べる習慣がありませんが莫さんは、すべてを勇気でもって口にされました。)初物を前にして、遠慮深く断ることをされませんでした。

  とにかく、酒は沢山飲んでいただきました。飲んだ勢いで家庭の風呂にも挑戦することになりました。入浴、寝巻きを着て、川の字になって3人は蒲団(普段、彼らはベッドで寝ています)で就寝。時はすでに28日午前。

 10月28日。7時のおあさじ始まる前に、電話を入れて薬局へ走る。朝食は、納豆・味噌汁・焼き海苔、そして生卵(これまた中国人の苦手な代表的なメニュー)などが配膳されました。(たべられないものがあっても仕方がないから、ごく日本的食材を並べるようにと言っておいたが)実際出されたものをかたっぱしから片付ける莫さんには驚きました。 聞くところに、彼は常々外国に行く折、その国の食事を楽しみにし、初物でもチャレンジするのがモットーであるとのこと。なるほど。

 9時から、本堂に園児が参拝のために入堂しました。莫さん登場。
園長(私)が紹介した後、莫言さんに子供たちにお話ししていただくようお願いしました。 (『雪と餅』)という話でした。 通訳は、毛丹青さん。

 園児はお礼に御拝(ごはい)で軽快に遊戯を踊る。(曲目=バケイション等) 続いて園に移動。各室に入った園児の保育の様子を見ていただく。もともと穏やかな顔の莫さんの顔が子どもと交流する時さらにやさしくなります。この人のどこに魔術的リアリズムの作家の心根があるのか理解しがたいものを感じました。

 だが、やさしい顔の莫さんが本当の笑顔を見せてくれたのがこの後。実は3日前から出るものが出ないので苦しいと、昨夜聞かされていました。薬局で調達した下剤を食前に飲んでいただいておりました。その効果がようやく利いたようです。寺に滞在中にお通じがあり、楽になったことが、彼にとって、称念寺はさらなる安住の場となりました。  次には『川向こうの鐘』を訪れました。続いて一向浄苑に立ち寄りました。墓地には戦没者の碑が多くあります。その中には近世の日中間の戦争犠牲者の碑も多いのです。 戦争について認識の違う互いの思いを探りつつ心は徐々に接近できたように思います。

 この日の昼食メニューとして、莫さんは焼肉・野菜サラダを希望されました。(もう大丈夫!と思われたのでしょうか)野菜・肉をバカバカと驚くほど口にされました。  昼過ぎ、出発。次のスケジュール。伊豆行きのため二人を新幹線安城駅に送って別れる。この折に、11月3日にまた必ずお立ち寄りいただく約束が交わされました。



< < B a c k







Copyright(C)