旺忘望と毛丹青    

視覚・生命・霧
視覚の衝撃という言い方をはじめて耳にしたのが北京で装幀家の旺忘望氏と会ったときだった。その日、崔健さんと僕は北京テレビ局のスタジオから離れ、旺さんの仕事場に向かっていた。深夜の静けさはまるで昼間の喧騒を洗い流したかのように、雑音であるはずのエンジンの音もリズムよく聞こえていた。崔健さんは運転をしながら、僕にしゃべった。

「外国から戻って、飛行機から降りるたびに何だかイライラするのね。数日たつと、もとに戻るけど、この感覚はいったい何なんだ。よくわからん。」

ミュージシャンの彼は、音に対してたいへん敏感になるから、飛行機を降りたらすぐイライラするとの説明も恐らく巨大な騒音にも関係があるのではないかと僕は思った。が、この話題は続かなかった。車の中に崔健さんの新譜<緩衝>が流れていく。数分後、旺さんの仕事場についた。旺さんはあの<紅旗下的蛋>の表紙デザイナーだ。

紅旗下的蛋

そこで彼は何を表現しようとしているのだろうか。僕は挨拶の後に尋ねた。「表紙デザインは視覚への衝撃が必要なんだ」と答えながら、彼はMACのディスプレイに表紙を読み出し、口を開いた。「われわれには、文字というものが氾濫しすぎでいる。これもあの時代、みな指令みたいな働きをして、単なる伝達の道具にしかすぎなかったと思うよ。あの時代って、個人というものもなければ、集団もなかったね。一人一人、みな国家の代弁者みたいに肉も血もないんだ」

たしかに60年代生まれの僕にとっては、文化大革命の最終時期に遭遇していた記憶はいまだに新しい。旺さんも崔健さんもよく似た経験を持っていた。個人の存在は暴走する社会に呑み込まれていき、体制の中の一部品として確立しなければならなかった。そして、僕たちは、あの時、赤い旗のために、革命のために忠実だったといまになって、やっとわかった。

僕はこう考えながら、崔健さんの意見を求めた。「そうだ。でも、個人がないということはいまもたいして変わりがないよ。みんなはパスポートを持っているだろう。それは君個人を表わしているのじゃなくて、その国の人だという意味だね。俺は人としての人になりたいんだ。」

崔健と毛丹青

崔健さんはしばらく、無言のままだった。旺さんもディスプレイに向かって座っている。僕は静かに考えた。

あの時代は代弁者がいる。彼らは文化というものまでつくりあげていた。それは、指令のように社会の隅々まで何らかの思想を伝えながら、民衆の心をある特定の目標に向かわせた。革命であれ、何であれ、ある種のエネルギーの発散地になれば、社会は安泰になる。

表紙を見つめる旺さんは、少し考えていたようだが、次の言葉を放った。

「個人って何だ?俺は生命そのものだと思うよ。社会のために存在するんじゃない。命のために存在するんだ。俺は命を表現したいんだ。これからももっと表現したいね。」これを聞いて、崔健さんもうなずいた。

帰りに、崔健さんは再び視覚のことについて僕に話しかけた。気がつくと、車外は濃い霧に包まれ、電信柱の光さえも見えなくなっていた。

思わず、僕らは笑った。



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