"The Power Of The Powerless"

ロック歌手崔健を訪ねて
「音楽は人格の美の力だ」
日本。東京INTER FM76.1スタジオ。

インターエフエムの招きで、私は北京の崔健と国際電話でつなぎ、彼の曲に影響を及ぼした背景などについて語った。実のところ、私にとって、この対談の目的は中国のロックの姿を検証することでもある。最近、この種の音楽が既に商業化し、通俗化し、ひいては堕落の兆候まで現していると指摘する者もいる。

これに対する崔健の見方はこうだ。

「中国の文化界はロックについて偏見をもってると思う。それがファッションのひとつにすぎない、カラオケのようなものとみなし、スポーツには遠く及ばない。スポーツは成果を上げれば国を振興し、国に栄光をもたらす。スポーツが強いほど、国も強い。しかしロックがその力を出せば、その煽動性はスポーツの比じゃない。そしてこのパワーは反対の方向のもので、音楽が強くなるほど、国の権力が弱まるかのようだ。実際、僕らの社会にはある種の利益における混乱が発生する。あるいはそれを「職業の混乱」と呼んでもいいかもしれない。例えば、ある芸術家は国家を至上とし、政治家は政党を至上とみなす。でも僕の考えでは、芸術家は人間性を至上とすべきだし、政治家は国家をこそ至上としなければならないはずだ。これらの食い違った関係は利益と道徳の領域において人々に混乱を巻き起こす。もし僕らが一つの標準的利益を確認できるなら、目の前の混乱を免れ、なおかついわゆる人間性と国家は利益の面においても統一されるだろう。なぜなら、僕ら一人一人がみな国家をつくる人として存在するからだ。」

「あなたの音楽は本土化していますよね。例えば『紅旗下的蛋』などは、中国以外では、多くの人が中に立って真意を理解するのは難しいと思うのですが」

この質問は音楽の領域を越えているかもしれない。しかし、彼はすぐに答えてくれた。

「本土の文化性だけが、人を感動させることができる。アメリカの黒人音楽なんかを聞くと、すごくいいと思うんだ。彼らの生活を理解しているわけじゃないけど、音楽としては彼らはパワーがあふれている。ちょうど彼らを持ち出して、自分のライバルとするようなもので、相手の音楽で自分をはかる。自分にいったいどれだけの力があるかみるんだ。僕はボクシングを見るのが好きだ。「硬」と「硬」とがぶつかりあう。エアロビクスは嫌いだ。というのも自身に対抗するのと、対抗する相手はすべて芸術の一部分だ。ここで僕らが注意すべきなのは選択だ。その前提は対象によって決定される。だから、僕の音楽を楽しむとき、この選択は必要なものだ。もし対象を分かっていれば僕の音楽に対しても興味を覚えるだろう。対象そのものは別に重要じゃない。それは表現されてくるものであって、必ずしも実在しないからだ。そして音楽の最大の価値はまぎれもなくその対象そのものに対する表現の力にある。社会問題は僕の音楽表現の対象で、かつ音楽は人格のもつ力の美しさだ。」

崔健の音楽に対する感性はとても豊かだ。彼のこのような豊かさは、人間性や人格の力に対して表現する欲望とたゆまぬ努力から来ている。そして、これこそまさに現代の中国に欠けているもので、同時にこの時代が最も必要としている思考である。この点で、彼の音楽は既に社会や文化の領域まで波及しているというこの真実から見逃することができないだろう。


崔健さんと中国ロックについて語る


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