8gg富さん夫妻と京都で記念撮影

メディア・アーティスト 八股歌【8gg】の台詞
DVは野心家と出会った時
パソコンがなければ、デジタルビデオなんかは、けっして人々の話題にならないはずだ。まず、メディアデザイナー達は君に向って、もうすぐあれを買うぞといつも興奮ぎみに語りかけてくる。それと同時に、バーにも、展覧館にも、さらに高速道路にも、町の横丁にも、君は至るところで、彼らと遭遇する。

デジタルビデオを片手に持つ画家、ドキューメンタリー監督、それに何時出てくるかはわからないインターネット取材の記者達、また、興味津津で身分はかなり疑わしい外国人達……。彼らは野心家だ。ようやく簡単かつ実用の道具を手にして、まわりの現実を表現しようとするからだ。どこかの田舎出身者、国際的に注目された監督カチャンコー氏は『VCDとデジタルビデオを手にしてから』という文章を書いたそうだ。中には、数多くの事例を挙げながら、この道具は夢を追い求める人にどれだけ恩恵を与えたかを力説してきた。廉価な技術は止まるところもなく、前例もなく広げられていく。



周辺の連中を見てみろう。どれだけの人は専門知識を持たずに、浮浪者のようになっても、ちゃんと理想中の仕事を見つけ出した。インターネットは気軽にも、今までの通信障害を打破し、無数の青年も情報閉鎖の苦境から救われてきた。彼らは、貪るようにインターネットに貼りつき、一所懸命にその栄養分を汲み上げようとする。デジタルカメラはほかの設備よりは百倍も安いし、問屋卸しによって絶えずに個人の手に渡されていく。そして、われわれもまったく予想できないことも起りそうになった。

まず、デジタルビデオの操作は意外に簡単だ。これもわざと訓練を受けなくても操ることができるから、未経験の人にとっても、眉をあげ目を大きく見開く機会でもあるようだ。君は敏感な両眼で、なんにかを常に発見することもできれば、思いもかけない風景や奇妙な画面も現われてくるだろう。

次に、言っておきたいのは、デジタルビデオが小さく、携帯用に適切することだ。これも行動と共に、われわれは常に持ち歩き、閃くその瞬間にも巡り会えるかもしらないし、または身のまわりに起きた小さなことでも見落とすことがないだろう。小さなデジタルビデオは被写体の心を最大限に和らげるように働いているし、レンズ向こうの人物も気軽になり、真実のままに居られるわけだ。デジタルビデオを持つ人は隠れ場所にも思う存分、撮影を実行することもできる。

現実か?それとも幻覚なのか?そのすべてを漏れせずデジタルビデオに収められていく。それらの使い方はただ上記の項目に限定してしまえば、家庭用の小さな撮影機に過ぎないだろう。デジタルビデオはパソコンにつながれば、その専門職の特徴ははじめて表現される。君はあの「Firewire」というケーブルをマックG3-300に40MB毎秒の速度で接続できれば、きっと自分は撮影の授業を受けずに済むことを喜ぶだろう。

パソコンに送られてきた映像はこんなに自由に切断でき、また組み直せるなんで、前期の収録は仮に雑多かったとしても、後期の編集においてそのわずかの素晴らしさを探し出すのはそう難しくはない。訓練を厳しく受けてきた撮影者は、はじめて撮影を行った時に、画面の切り取りをどのようにするのかはほとんど決めかけている。撮影で捉えたありとあらゆる元素は有効に使わなければならないから、彼らの最初の撮影は最後に近い。

後期の編集を選択する余地は少なく、成功なのか?失敗なのかは、そのすべては前期の撮影に賭けるだけだろう。専門知識を持たずに、デジタルビデオを使いこなせる人にとって、レンズに飛び込んでくる映像をほとんど選択せず、そのまま流されていく。というのも、彼らは自分のレンズを完璧にコントロールすることができないからだ。しかし、言い換えれば、このような主観的な操作がないからこそ、はじめて無意識にわれわれが見落としがちなものを撮影することができるんだ。それに後期の編集に入れば、彼らの選択の余地は多くなる。パソコンの前にゆっくりと腰を下ろしながら、大量の素材を厳選しはじめる。

冒頭にも言ったように、デジタルビデオを片手に持つ人々はわれわれの前を通り過ぎていく。彼らの大満足の笑顔を眺めながら、近い将来にもっと職業不明の人達は頻繁に、各種の個展や藝術映画祭、新しい媒体センターに出入りするも容易に予想される。彼らはここで水を得た魚のように、メジャーの一員になり、経歴はそれぞれ違うが、性格も異なるだろう。ただひとつだけ、共通点が存在している。それは自分の想像力と趣味は簡単に埋められるのがいやだからだ。

(Japanese translated by Amao)




< < B a c k







Copyright(C)